塾や学校に自習室があるのが当たり前になってきた。自習室自体は昔からあったが、「一応、ありますよ」という程度で、それがセールスポイントになることはなかった。
 今は違う。塾や学校が提供する教育サービスとして欠かせないものになってきた。

 自学自習は悪くない。究極の勉強スタイルと言ってもいいくらいだ。しかし、サービス競争という面が強くなり過ぎると、本来の趣旨・目的が失われて行く危険性がある。

 たとえば。
 「自習室にはチューターが常駐し、アドバイスしたり質問も受けます」。
 じゃあ、自学自習じゃないじゃない。面倒見ちゃダメなのよ。放っとかなきゃ。
 だが、自習室が利用できますだけでは差別化ができなくなると、どうしたって、こうなる。
 「うちは環境だけは用意するけど、それ以上のことはしませんよ」。始まりはそこだったが、サービス競争の末に、本来の目的が見失われてしまう。
 自習室問題に限らず、そういう現象はしばしば起きるので注意しましょうということだ。

 「自主性」や「主体性」、「自立」や「自律」、最近よく聞くのは「自走」。子供の教育に関わる者であれば、皆ここを目指すであろう。
 これらが、放っておいて育つものであれば学校も先生も要らない。あの手この手を使って引き出し、育てて行くものだ。

 先週、栄東の塾説に行ったが、こんな話をしていた。
 「最初は生徒から目を離さない、手も離さない。しかし次の段階では目は離さないが、手は離す」
 そうだろうね。で、そのうち目も離すが、心だけは最後まで離さない。考えることは皆同じだ。
 ただ、離すタイミングは難しい。

 せっかく自習室という環境(またはシステム)を作ったのであるから、本当の意味での自学自習力を育てないともったいない。