今日は熊谷洋興先生(77)の活動をご紹介しますね。

 8月12日の埼玉新聞を見ていたら、見覚えのある顔を発見。
 もしやと思い名前を確認したら、やっぱり。
 以前、仕事でお世話になった熊谷(くまがい)先生だ。
 定年で公立中学校の校長を辞した後、西部地区の私立高校で広報関係の仕事をされていた。お世話になったのはそのころだ。

 いつだったか、熊谷先生が校長を勤められていた大井西中学校を一緒に訪ねたことがある。取材先として紹介してもらったんだと思う。放課後も結構遅い時間だったと記憶しているが、打ち合わせをしていると、来訪を伝え聞いた先生方が、次々に「先生、先生」と言って嬉しそうにやって来る。まるで生徒みたいに。
 みんなかわいがられていたんだろうな。校長先生のこと大好きだったんだろうな。羨ましいな、と思った。

 その時のことだったか、また別の日だったか忘れたが、熊谷先生は待ち合わせ場所に颯爽とバイクで現れた。原付じゃないよ。どデカイ本物のバイクだ。
 「この人、年の割にフットワーク軽いな」と思っていたが、そうかライダーだったのか、と納得した。

 あれから10年。お会いする機会もなくなったが、熊谷先生は2011年の東日本大震災の後、単独で現地入りし、がれきの撤去作業に取り組まれたという。部活動用品などを中学校に届けたりもした。もちろんお得意のバイクに積んで。
 熊谷先生は被災地に隣接する宮城県登米市の出身。
 その後も継続して被災地中学校への支援を続けているが、今回の記事はその様子を伝えたものだ。

 1年前の8月15日。山口県で行方不明の2歳男児をあっという間に発見。一躍時の人となりスーパーボランティアと称されたのは尾畠春夫さんだが、埼玉にもすばらしいボランティアがいたのだ。
 私は記事を読んで熊谷先生の活動を初めて知ったわけだが、意外性はなく、熊谷先生だったらそうだろうなと納得した。むろん納得しただけでは意味がないから協力させてもらうことにした。
 熊谷先生の知人である富田竹雄さんという方の著書「火工廠物語」(税込み1600円)を購入すると、その収益の一部が震災遺児への支援に充てられる。

 新聞に載っていたから、公開して大丈夫だろう。
 お問い合わせは熊谷先生(090-6122-8739)まで。
 さきほど電話してみたら、「南三陸町さ来てます」ということでした。