「金持ち喧嘩せず」という。私は金持ちじゃないが喧嘩はしない。「君子危うきに近寄らず」という。私は君子ではないが危険なことは避ける。
 昨日に続き、「煽り運転」からの連想だ。

 道路を走っていると、右に左にと忙しく車線変更する人がいる。目的地に着く時間はそんなに変わらんと思うけどね。
 そうか、忙しいんだ。1分1秒を争ってるんだ。だったら、お先にどうぞ。

 私は急がないよ。人から使われてる身でもないし、命令されて動いているわけでもない。原則30分前行動の私は、滅多に時間に遅れることはないが、仮に遅れたとしても誰からも文句は言われないよ。だから慌てなくていいんだ。
 でも、あんたは違うみたいだ。時間に縛られてるんだね。他人に拘束されてるんだね。だったら高速で行きなさい。

 嫌味な言い方だな。何か上から目線で感じ悪い
 そうだよ。私くらいになったら、ものごとは何でも上から見るんだよ。大所高所っていうだろう。いい年こいた爺さんがものごと上から見られなくてどうする

 前から見て腹が立つことも、後ろから見たら大して腹も立たんよ。平行で見たらムッと来ることも真上から見たらどうってことないよ。
 そりゃあ誰だって腹が立つことも、ムッと来ることもあるさ。そういう時は3秒待てよ。一歩前に出るんじゃなく一歩下がれよ。たいていの怒りはこれで収まるから。

 「てめえ、さっさと走れよ。この糞じじい(ばばあの場合もあり)」。
 はい、これ変換します。
 「おいおい、じいさんしっかり頼むよ。歩いた方が早いんじゃないの。車使ってる意味ないじゃん(笑)」
 喜怒哀楽。いろんな感情を持っていると、こういう変換作業ができるんだね。

 若い時には感情のコントロールは要らない。面白い時には大声をあげて笑い、悲しい時には泣く。喜んだり悔しがったり怒ったり。
 そういう経験を重ねて行くと、たくさんの感情を持てるわけ。で、そのうち適宜使い分けができるようになる。

 というわけだから、豊かな感情を持った生徒に育てましょうってことだ。