世の中の商品というのは、プロが作って素人であるお客が買う。経済学で言うところのサービスも同じ。プロが生み出し素人であるお客が消費する。まあ当たり前のことだね。よって、売れるかどうかは素人の判断次第ということになる。

 「あの医者は名医だ」
 あなた、手術執刀したことあるの?
 「あの弁護士は優秀だ」
 あなた、法廷で戦ったことあるの?
 素人のくせしてよく言うよ。

 でもね。多少は物を知っている人のアドバイスはあるにしても、こうしてお客は素人判断で商品やサービスを購入しているわけである。

 さあ、ここまで書けば、勘のいい読者諸氏はもうお気づきだろう。医者や弁護士は、そのまま学校や塾や先生に置き換えられるわけである。
 先生方が生み出す教育サービス。たとえば授業。その真の価値を、素人である生徒や保護者が理解し、正当な評価を下せるだろうか。
 否。
 無理に決まってんだろう。

 しかし、この素人判断で高評価を得なければ、生徒は集まらず、価値ある授業は宝の持ち腐れになるのである。これは、あなた自身やあなたの学校にとって残念であるばかりでなく、大げさに言えば、社会全体の損失にもなるのだ。

 「いい教育をしていれば自然に生徒は集まる」。
 だからさ、そのいい教育っていうやつを素人は判断できないんだよ。正しく見極めることができないんだよ。永遠に無理。

 いい教育っていうやつを、プロ的発想でプロ的な言葉を使って説明したって、素人には何のことか分からない。
 ここよく聞いといてよ。説明してもダメって言ってるんだからね。
 先生たちは授業で説明慣れしてるせいもあって、説明の力を過信してしまうんだね。難しいこともきちんと説明すれば分かってもらえると思っちゃう。

 「学校(塾)の良さが理解されない」
 そういうの、私には言ってもいいよ。なぜなら私はこれでもプロの端くれだから、理解できないお前がバカだって言ってくれてもいい。
 でも、教育の素人であるお客に向かって言ってはいけない。

 売るのはプロで買うのは素人。
 そう考えれば、情報発信の仕方や、お客への接し方もずいぶんと変わってくるんじゃないか。