1年の計は元旦にあり。
 このことは何度か記事にしたことがある。
 その都度、出典など調べるのだが、すぐに忘れてしまう。
 おそらく、計画ということにさほど興味がないからだろう。
 興味がないことは定着せず、すぐに忘れる。

 今日は「1年の計」について語ろうと思うのだが、「計画に無関心な」人間がそれについて語るのはどうなのかという躊躇はある。
 が、めでたい正月に免じて赦していただこう。

◆なぜ1年なんだ
 1年の計画ということならば、基本1年で達成できそうな事柄が目標となるが、問題はそこだ。

 1年は短い。
 すなわち1年の計とは短期目標である。
 目先の目標である。

 もちろんそれはそれで構わないわけだが、1年で達成できそうな目標は難易度が低い。
 これを繰り返すことの危険性は、己に対し、容易に達成できそうな易しい目標しか課さない人間になってしまうことだ。

 今日の目標。
 今週の目標。
 今月の目標。
 今年の目標

 期間が延びるほど計画を立てることが難しくなる。
 実現、達成への難易度がどんどん高くなる。
 だから無意識にそれを避け、短期の目標に逃げ込もうとする。

◆せめて3年
 1年後の計画すら実行できないのに、それより長期の計画なんて立てられない。
 普通はそう思いがちだ。

 だが逆に言えば、短いスパンの計画ばかり立てているから大したことができないのだ。
 一年の計とは言わず、せめて2年がかり3年がかり、できれば5年先の計画を立ててみよう。
 
 3年がかりでこれを実現する。
 そのために今年は何をする。

 と、文字で書けばどうということはないが、実際に3年後までに会社をどのようにする、自分をどのようにすると考えてみると、これが実に難しい。
 同時に、己が今まで、いかに易しい計画しか立ててこなかったことを思い知らされ愕然とする。

 私の個人的事情を言えば、5年先、10年先という具合に遠い先を考えるとき、常に「そこまで生きていられるか」という疑問や不安がよぎる。
 が、考えようでは、先が短いからこそ1年1年が貴重なのであって、だからこそ長めの計画、目標を立てるべきなのである。

 1年単位で考えるのがすべて悪いというわけではない。
 1年単位でしか考えられない悪弊から脱しようということだ。

 もう少し早くこのことに気づけば人生もっと変わったかもしれないと思うと非常に残念だ。
 皆さんには、「一年の計」などという、どうしようもない発想を捨て、2年3年と時間をかけなければ実現できない難易度の高い計画、目標を立てられるようにした方がいいですよと、アドバイスしておこう。