これはもはや持病と言うべきであろう。その名は「先送り病」。
 私は原稿を書く仕事をやっている。
 ギャラをもらって書く原稿には当然締切がある。発行日も、その手前の印刷日も全部スケジュール化されているから、自分の都合でちょっと待ってというわけにはいかない。
 と言うか、そんなことをしたら二度と仕事が回ってこない。

 だから締切だけは絶対に守る。
 まあ、威張ることじゃないね。社会人としてプロとして当然のことだ。
 ちなみに、このブログは趣味みたいなものであるが、手は抜かない。

 いつも思うのは、早めに原稿を仕上げてノンビリしようということなのだが、これが出来た試しがない。
 とにかく、先へ先へと延ばしまくる。
 あと3日、あと2日、あと1日と期限が迫って来ないと書き始まらないのだ。

 で、切羽詰まって書いた原稿が「今できることは、今のうちに実行に移す」(よみうり進学メディア9月号)だったりするのだから笑わせる。
 てめえ、言ってることとやってることが違うじゃねえか。

 ただ、少し弁解というか説明をしておくと、私の場合、長年の経験で書くべき文量とそれに要する時間がほぼ正確に割り出せるのだ。
 20年もやってれば、誰だってそうなる。
 
 それと、明らかに生産性が違う。
 締め切り1週間前の生産性が1時間当たり原稿用紙2枚程度だとすると、締め切り前日の生産性は1時間当たり5枚くらいに跳ね上がるのだ。
 だったら、より生産性の高い前日にやった方がいい。
 それって自分に都合のいい解釈じゃないの、と思われるかもしれないが、皆さんも少なからずそういう経験あるでしょう。
 こんなに簡単に済むんだったら、何でもっと早く終わらせなかったんだろう、って。
 この間際になって集中度が増し生産性が爆上げになる現象については、別の機会にまた書いてみよう。

 さて。
 とは言え、少しは早めに終わらせて本を読んだり映画を見たりという時間を作った方が精神的にも良いはずである。
 そこで、「よし、今度こそ」と試みるが、どうしても出来ない。やはりこれは持病であり、不治の病であるようだ。
 この病は一度かかると治りにくいので、若い世代の方はかからないように、また、かかってしまったら、なるべく早く治療することを勧めておく。
 これに限らず、年をとると、全てのことが治りにくくなるのだ。

 自分では早めに手がけ、早めに終わらせることができないのに、中学生(受験生)に対しては早めを勧めているのは、彼らはやるべき仕事量(勉強量)と、それに要する時間との関係がまだよく分かっていないからだ。
 よって最後の方になって、どう頑張っても時間が足りないという事態に陥る可能性がある。
 これは経験の差だから致し方無い。
 そういう意味で、彼らにとって先送りはきわめて危険な選択なのである。

 受験勉強は、夏休みの宿題などと違って、完成するということがない。
 結局、ほとんどの受験生が未完成のまま試験に挑むことになる。
 合否は、より完成品に近い未完成か、完成品には程遠い未完成か、その差である。
 屋根はのっかっているか、天井床壁はできているか、内装まで手が回っているか。
 
 受験生は、言ってみれば段取りさえ分からず、工期も読めない素人なのである。
 「なーに、最後はきっちり帳尻合わせますよ」なんて、ベテラン職人のような芸当が出来るわけないだろう。
 だから、「今できることは、今のうちに実行に移す」しかないのである。