学校選びに関してだが、私は、直感のような感覚的なものも意外と大事だよと言っている。
もちろん基本は合理的であるべきなんだろうが、言葉にならない何かを感じる時ってあるでしょう。
子「この学校何かやだ」
親「何かじゃ分からない。理由を言って」
子「分かんないけど、何となく」
親「だから、何となくじゃなく、ちゃんとした理由を聞かせて」
こういう詰問調は答えを導くのにかえって時間がかかってまうのだが、別の聞き方しても同じこと。
子「この学校何かやだ」
親「そう。で、何かって、どのあたりなのかな」
子「それが、自分でもよく分かんない」
結局、こうなることが多い。
◆違和感の正体が後で分かる
長いこと生きてきた私は、いろんな人と出会い、付き合ってきた。
最初から馬が合う人がいる。
これは問題ない。
最初から虫が好かないと感じる人がいる。
これも問題ない。付き合わなければいいだけの話だ。
ところが、中にはどっちとも言えない人もいる。
五分五分ぐらいだったら、適当な距離をおきながら、時間をかけて見極めればいい。
厄介なのは、90何パーセントはOKなのだが、残り数パーセントがなぜか引っかかる人。
言葉では説明できない違和感をほんの少しだけ感じる人。
数パーセントなんてものは統計学的には無視して差し支えないから、合理的思考をすれば付き合うのに何の問題もない。
見えない所に付いた、ちょっとした傷みたいなもんだ。
まあ、気にするな。
実際、一緒に仕事を進めていて何も感じないし、最初の違和感などそのうち忘れてしまう。
ところが、である。
ずっと経ったある時、それは1年先のこともあれば、3年先のことも、もっと先のこともあるが、なぜかトラブルが発生するのである。
で、その時になって、なるほど最初に感じた違和感の正体はこれだったのかと気づく。
ちゃんと理由はあったのだ。
ただ、自分でも説明できなかった。
◆直感や印象も無視できない
以来私は、受験生に対し「直感や印象も無視できない」と言っている。
もちろん、大事な学校選びを直感だけに頼っていいはずがない。
基本は合理的思考であるべきだ。深く考えるべきだ。
だから、ここで言っているのは、その先の話だ。
ほとんどこれでいいんだが、何か引っかかるな、どこかしっくりこないなという違和感。
その正体が後から分かっても手遅れだから、何とか探り当てよう。
別に違和感を感じたら全部ダメというわけではない。
違和感の正体を見つければいい。
その正体を知り、なんだ別に大したことないではないかと納得できればそれでいい。
◆100%自分に合った学校なんてあり得ない
自分に合った学校を見つけるというが、自分の性格や趣味嗜好や関心と100%一致する学校なんてあるはずがない。
あったとしたら、万に一つの幸運と言うべきだろう。
何百人もの生徒が共に学ぶ場所だ。
みんなが少しずつ我慢して生活するしかないのだ。
ここだけは譲れないという一線を引き、そこさえ満たされれば、あとは妥協するしかない。
だから、最初に述べた違和感の話は、譲れない一線に関わることについてである。
その部分については正体を探ったほうがいい。
それ以外は違和感通り越して不満があったとしても、受け入れるべきで、それをしないといつまで経っても学校は決まらない。
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