本日、某私立高校を訪問。話題は大学入試結果へ。
 一般の方は、「まだ、そんな時期じゃないのでは?」と思われるかもしれない。
 だが、近ごろは大学入試制度がどんどん変わってきており、ピークである2月、3月の前に、もう一山あるのだ。
 一昔前で言うところのAO入試や推薦入試なのだが、大学によってはその結果が今出始めている。
 が、しかし、今日の本題はそこではないので、制度面の話には深入りしない。

 担当先生曰く。
 「現状、昨年ほどの成果が出ていないので、(HPなどで)大々的にアピールしにくい」
 実際にHPを見ると、事実をそのまま載せているように見えるが、要は「大躍進」とか「過去最高」とか、華々しく謳えないということだろう。
 お気持ちはよく分かる。

 しかし、間違っても、事実を覆い隠すかのような発表の仕方はしないことだ。
 まあ、さすがにそれはないだろうが、何とか良く見せる方法はないものかなどと思案を巡らせるのは時間の無駄である。
 個人レベルでも、簡単に情報の受発信ができる時代、嘘や改竄や粉飾は簡単に見抜かれる。
 
 だから、事実は事実として淡々と伝える。
 それでいい。
 結果が良かった時だけ大騒ぎし、悪かった時はダンマリを決め込む。
 そういう態度こそ、長い目で見れば信用失墜やブランドイメージ低下につながるのだ。

 それに、この手の発表は、在校生も見るだろうし、当の本人やその保護者だって見るだろう。
 「今年はダメだ」みたいな雰囲気が微塵でも醸し出されていたら、どう思うだろうか。
 みんな頑張ったのに。

 たまたま大きな成果が出た時は、「今年の生徒はよくやった」。
 結果が芳しくない時は、「・・・・・」。
 先生として、これでいいの?
 いいはずない。

 たとえ外部に向けての広報手段であるとしても、ホームページやパンフレットにおける、ちょっとした表現の中にも、結果を出せなかった生徒への慰労と励ましが欲しい。
 いや、それは別に書かなくてもいいですよ。
 と言うか、書く必要はない。
 ただ、心の片隅には、いつだってそんな「愛」が欲しい。
 その上での表現や発表にして欲しい。
 そういうこと。

 加えて言えば、我々のような玄人筋は数字の変化に敏感だが、受験生や保護者はそこまで見ていない。
 勝手に一喜一憂しているのは先生だけだ。

 立派な監督は、「あいつのミスで負けた」なんて絶対に言わないでしょう。
 多くの人がそう思ったとしても監督だけは言わない。
 「選手はよく頑張った」。

 「今年はダメだ」。
 それを事実として受け止め反省材料にするのは良し。
 だが、「今年はダメだ」が、言葉や表情・態度に出たとしたら、それは「あいつのミスで負けた」と言っているのと同じこと。

 愛に溢れた学校にしてください。
 私はそういう学校を応援します。