趣味の話なので、好みが違う方はスルーしてもらおう。
 本日、明治神宮を参拝した。
 
 明治神宮のご祭神はその名からも想像できると思うが、明治天皇と昭憲皇太后である。
 創建は大正9年(1920)年であるから、日本全国数多ある神社の中では新しい神社と言えよう。

 首都・東京にあるため、毎年初詣客の数は日本一である。
 明治神宮には明治天皇の墓所があると思っている人もいるようだが、明治天皇と昭憲皇太后の陵墓は、京都の伏見桃山にある。
 伏見桃山陵のことは、このブログのどこかで書いた。

 当たり前のことだが、神社には必ずご祭神というものがある。
 ただ、日常われわれが神社を参拝するとき、どんな神様が祭られているかはあまり意識しない。
 それが多くの日本人の神社や神様に対する向き合い方であるから、別に構わないと思う。

 明治神宮は参拝客が多いので、賽銭や玉串料などの収入も多いわけだが、それを上回るのが結婚式場として有名な明治記念館や、神宮球場はじめスポーツ施設を数多く擁する明治神宮外苑から上がる収入である。
 広大な神域の維持管理には資金が必要なのである。

 明治神宮で思い出されるのは、神宮の杜の造営に関わった、林学者・本多清六博士の名である。
 本多清六博士は、現在の久喜市菖蒲町の出身で、埼玉ゆかりの偉人だ。
 博士は、日比谷公園をはじめ全国各地の公園の設計に関わっており、「公園の父」とも呼ばれている。
 
 明治神宮の杜は、全国各地から10万本の樹木が献納され造営された。
 設計に関わった本多博士ら専門家は、椎・樫・楠など照葉樹を主要な構成木とし、永遠の杜づくりを目指した。
 だが、時の内閣総理大臣・大隈重信は、「スギのような針葉樹を植え、荘厳で雄大な森づくりをすべき」と主張したという。
 結局、専門家らの「都会はスギの生育には不向き」という主張が通り、照葉樹を主たる構成木とする森が完成した。
 東京空襲の際、延焼を最小限に食い止めたのは、燃えやすい針葉樹ではなく、照葉樹であったからだとも言われている。
 (以上、明治神宮HPより)

 本多博士については、出身地・久喜市のホームページにも詳しい解説が載っている。
 本多清六博士の事業
 また、埼玉県では、本多博士から寄贈された森林を元に基金を設立し、「本多静六博士奨学金」という制度を設けている。

 なお、本日の参拝は、コロナの関係で昇殿参拝や御神楽奉納などはできなかったが、神官によるお祓いを受け、本殿内で玉串奉納する正式参拝であった。