所用あり県内私立2校を訪問。
 重要案件終わり、その後よもやま話。
 その中でたまたま和光国際高校のことが話題になった。

◆高校の現役教師でもこんな感覚
 某先生曰く「和光国際さんは和光との合併で大変ですね」
 はっ、それはどういう意味?
 「だから、レベルが全然違うので・・・」

 和光国際、岩槻その他再編整備対象校の皆さん。
 私立とは言え、同じ埼玉県内の現役教師にしてこの感覚なのだ。
 この感覚で個別相談に臨んでいる。
 「公立はどこを受けますか。ああ、和光国際ですか。和光と合併する」
 たしかに事実関係として間違っちゃいないが、これで大丈夫か。

 仕方ないので和光国際や岩槻に成り代わり私が説明した。
 和光や岩槻北陵の生徒が全員卒業してからの統合なので、生徒は誰一人移って来ないんですよ。
 「じゃあ、先生だけですか」
 いやいや、先生の数は基本クラス数と連動しているから、新校のクラス数が増えない以上、先生も移ってくる余地はありません。
 「へえ、そうなんですか」

 「校名はそのままですか」
 私立と違って学校自身で勝手には決められません。条例改正を伴うので最終的には県議会で決めます。
 
 とまあ、こんなやり取りが続くわけである。

◆誤解は誰の責任か
 上記の話。
 決して例外的な話ではない。
 だったらここには書かない。

 問題は、この無理解ないし誤解は誰のせいなのか、である。

 皆さんよく分かってないんですよ。
 誤解している方が多いんですよ。
 
 そのとおりかもしれない。
 だが、これがもし、いま授業を教えている生徒だったらどうだろう。
 普通の先生だったら「生徒がアホやから」で片づけることはないだろう。
 テストの成績を見て、自分の説明が不十分だったかもしれない、伝え方がまずかったのかもしれないと、自らを省みるであろう。

 ところが、こと広報となると、世間の無知・無理解に転嫁してしまう。
 これはまずい。
 常日頃、当たり前にやっていることがなぜできない。

◆われらの常識は、他の非常識
 住む世界が異なれば、常識も異なる。
 公立には公立の、私立には私立の、塾には塾の常識というものがある。

 公立高校の世界で、統廃合や再編整備の意図や中身を理解していない先生はいないだろう。
 この世界の住民にとって常識であるからだ。
 だが、一歩外に出れば、それは常識でも何でもなくなる。

 公立高校の皆さんは、私と話していて「コイツ、何も分かってないな」と思われることが多いだろう。
 仕方ない。
 だって住む世界が全然違うんだもの。

 しかし、こうした常識の違いを乗り越えて、ひょっとしたら言語体系の違いを乗り越えて、異なる世界の住民に理解を求めるのが広報活動の出発点なのである。

 和光国際や岩槻の周辺住民は、明日から和光の生徒が、岩槻北陵の生徒が、ここにやって来ると思っているだろう。
 会社勤めのお父さん、お母さんは、今度から両校の生徒が机を並べると思っているだろう。
 なぜなら、かれらの常識にある合併とはそういうものだからである。
 実際、小中学校の統廃合はこういう形が多いわけだし。

 在校生の卒業を待って、空っぽにしてから統合というのは、公立高校だけの特殊なやり方だと思ったほうがいい。
 そう考えれば、誤解する人が多くて当たり前という考えに行きつき、そこから知恵が浮かんでくる。

◆新校アピール一本鎗
 最後に私個人としてお伝えしたいのは、逆説的だが、統廃合や再編整備などといったお役所言葉を一切捨て去ること。
 説明しても分からないことは諦める。

 その代わり徹底的に新校アピールする。
 「今までにない新しい学校に生まれ変わります」。
 「もっと楽しい、魅力的な学校になります」
 といった形で、過去を語らず未来のみを語る。

 そうすれば、合併がどうの、再編がどうのという話は相対的にどうでもいい話になる。
 
 そもそも、統廃合だ、再編整備だ、などというのは役所側の都合だ。
 むろん理屈を述べれば、最終的には県民福祉の向上ということになるのだが、「めんどくせー」。

 未来を語ることによって、過去やこれまでの経緯を忘れさせる作戦を提案しておこう。