流行語大賞が「ふてほど」に決まったと聞いて、「はて、初耳だが」と思った方は多いだろう。
いや、自分の周りで相当流行っていたぞ、自分も普通に使ってたし。
って、嘘つけ。
流行語大賞というのは一企業の販促イベントであって、実際に流行っていたかどうかなんて関係ないんだよ。
むしろ、「何、それ?」っていう言葉をあえて選んで、ネットやバラエティ番組が大騒ぎしてくれることを狙ってるんだ。
みんなが「なるほど」と納得してしまうようでは困るのだ。
賛否両論入り乱れて一週間ほど騒いでくれたらオーケー。
その間に「現代用語の基礎知識」(11月4日発売)が少しでも売り上げを伸ばせたらキャンペーンとしては大成功だ。
今年流行ったといえば「裏金」「闇バイト」などが思い浮かぶ。
しかし、いかにも暗く、キャンペーンにはそぐわない。
だいいち授賞式に誰を呼ぶのよ。
裏金議員や闇バイトの元締めが「私が流行らせました」と出てきたら面白いが、そんなことあるはずない。
だから、誰か受け取りに来てくれる人がいないと大賞には選ばれないの。
◆一年の振り返り、その方法と効用
さて、ここから少し真面目な話。
一年間の振り返りはやってみたほうがいい。
別に世間に向かって結果発表しなくていい。
むしろ発表しない方がいい。
それをすると発表のための脚色が入り真実から離れて行く。
例えば私の場合だったら。
スマホの予定表や手書きの手帳に、いつどこに行き、誰と何の目的で会ったかがほぼ記録されている。
そうすると、「一番回数多く行った学校大賞」が出来上がるわけである。
「一番数多く会った人大賞」も、だ。
当然、何か目的があり、そこへ行き、その人と会っている。
自分はこの一年、何を考えて生きて来たのか、何をしようとしていたのか、何が上手く行き何が上手く行かなかったのか。
それらの答がここにある。
金(マネー)に焦点を当てて振り返ってみるのも面白いかもしれない。
私はほぼキャッシュレス生活なので記録がすべて残っている。
自分で記録しなくても自動的に残ってしまうのだ。
これは会社の決算書ならぬ個人の決算書だ。
それを振り返れば、そこからも自分の一年間の行動パターンが見えてくる。
無理やり反省に持って行く必要はあるまい。
要は自己分析だ。
その中から、次の一年間に向けての改善策など見えてくればもうけもの。
◆反省なんて意味がない
いつか別の機会に書こうと思っているが、人生70有余年の結論は「反省にはあまり意味がない」ということだ。
あの時、こうすればよかった。
なぜ、できなかったのだろうか。
ともすれば反省は後悔になりがちだ。
後悔は次の行動への原動力にはならない。
(少なくとも自分の場合は)
失敗した。
次は失敗しないようにしよう。
これが一般的な反省というものだろうが、はたしてこれでいいのか。
失敗した。
勉強になった。
次は別の失敗をしよう。
たぶん、これもありだ。
後悔の沼にはまり込むような反省ならしないほうがいい。
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