すでに話題となり問題視されている教員不足に関するニュース。

 「教員不足でテストできず…2週間にわたり自習続く 生徒に直接的影響 埼玉・吉川 教員の出産、育児、病気、退職が重なり、市立小中学校では6~7人の欠員 補充追い付かず 11月以降、教員2人が補充され、授業は正常に(12月15日 埼玉新聞WEB版)」

 こちら、ダラダラと長い見出しで売り出し中の埼玉新聞WEB版の記事。
 紙面版はスペースに限りがあるので「吉川市 教員不足生徒に影響 テストできず、自習2時間」とすっきりしている。
 
 この件、私にとって守備範囲外であるが、学校教育が抱える大問題の一つであるから、少しは勉強しておこうと読んだのがこの本。
 「教員不足 誰が子どもを支えるのか」(佐久間亜紀著 岩波新書)
 2024年11月20日第1刷発行とあるから最近出た本だ。
 昭和人間の私は、ネットでいろいろ当たるよりも、何冊か読書した方が頭に入ってくる。

 さて、吉川市の例であるが、これは県内どこでも起こりうる問題である。
 年度当初の教員数確保はできても、年度途中の産休や病休がどれだけ出るかなど誰にも予想できない。
 以前なら、こうした場合、非常勤講師の採用により乗り切れた。
 試験を受けたが本採用には至らず次年度以降に再挑戦しようという人たち、いわば予備軍が大勢いて、その人たちが非正規の非常勤講師として教員数の不足をカバーしてきた。
 しかし、採用試験受験者がそもそも少ない現在、教員希望者の多くは正規の教員として採用されてしまい予備軍が手薄になっている。

 部員数が少なくほぼ全員がレギュラーとなっており、ベンチに控えメンバーがほとんどいない部活。
 そんなイメージだ。
 だから途中でレギュラーにアクシデントが起きても対応できない。

 この度の一件も、当該の中学校や吉川市教委が特に杜撰だったというわけではあるまい。
 おそらく当該の中学校校長も考えられる限りの伝手を頼り、確保に奔走されたことだろう。
 しかし、根本は制度上の問題であり構造上の問題であるから、一中学校の努力ではどうにもならない場合もある。

 私個人は、誰が名付けたか教育ジャーナリストなどというお気楽な立場にある。
 机の前に座ってパソコン打っていればそれで済むという実に無責任な立場。

 だが、塾の先生方はそうではないだろう。
 我が塾の塾生は、近隣の小中学校の生徒でもある。
 塾の先生方と学校の先生方は、同じ生徒を相手にしている。

 親から見て我が子、学校の先生から見て我が校の生徒、塾の先生から見て我が塾の塾生。
 どっちから見ているかの角度が異なるだけで、見ている子供は同じ。
 親、学校の先生、塾の先生はそういう関係にある。
 三者の願いはただ一つ。
 子供の成長。
 だったら、いがみ合ったり非難し合ったりしないで協力しようぜ。
 周りの大人たちが対立してたら子供もいい迷惑だ。
 というのが私のかねてからの考え方だ。

 この度の教員不足問題も、だから学校はダメなんだではなく、この状況下で塾として子供たちのために何ができるかと考えてみてはどうだろう。
 実際に何ができるや何をすべきかという以上に、そういう視点を常に持つことが大事だと思うのである。