高校入試では覚えるべき知識の総量は決まっている。
 これは、他の試験(特に筆記試験)でも同様のことが言える。

 思考力・判断力・表現力を問う。
 あるいは読解力を問う。
 などと言われているが、空っぽの頭で何をどう考えればいいのか。
 言葉の知識なしに、何をどう表現すればいいのか。

 知識の丸暗記ではパーフェクトな対応はできないというのはその通りだが、逆に知識なしにはいかなる対応もできないのである。
 よって、求められる一定量の知識さえ覚えてしまえば、受験勉強はほぼ完成と言っていい。
 
 求められる一定量の知識とは、教科書に載っている用語や定理や法則などである。

 たとえば、国語の漢字だったら2千字程度(もう少し多いかも)の読み書きを覚えてしまえば完成だ。
 2千字というといかにも多いように思えるが、小学校で習った「右」とか「左」とか、「上」とか「下」とかも含めた数だ。
 大した数ではない。
 社会の日本地理で、覚えるべき都道府県の数は、たったの47だ。
 世界地理の海洋に至っては、僅か3つだ。

 まあ乱暴に言えば、丸暗記してしまえということだ。

 教育的に丸暗記が好ましくないというのは、その通りである。
 世の中には、ただ知識だけあって、使い物にならない人間はいくらでもいる。
 深く理解する力、自ら考える力、調べる力、分析する力等々、社会人として大人として身に付けたい能力はいくらでもある。
 学校では、それらの基礎となる能力の育成を目指す。
 それが教育である。

 入試で、これら教育的成果、あるいは到達度のすべてを測れればいいのだが、たった一日の試験では無理である。
 1教科50分程度のペーパー試験では、ごく一部の能力しか測定できない。
 で、結局のところ、入試で測られるのは、知識の総量と、ほんの少しの応用力である。

 よって、一定量の知識を頭に詰め込んでおきさえすれば、受験対策としてはそれで十分である。

◆塾に求められるもの
 教育をする人は「先生」である。
 通常、英語では「teacher」と呼ばれる。
 同じ「先生」でも、塾の「先生」は、「instructor」や「trainer」と言ったほうが相応しい。
 もちろんこれは、どちらが重要だとか、どちらが価値があるかという問題ではない。
 単に機能、役割、職種の違いというだけである。

 塾の先生が、時間を守るとか、日常のこまごまとした生活態度まで指導するのは、その方が点数の取れる子になる可能性が高いからである。
 そのための料金はもらっていないので、それらは学校や家庭で完結させて欲しいところだが、不十分とあれば、やらざるを得ない。

 本ブログ読者の皆さんなら、先刻ご承知であるが、教育の目標は次のようなものである。
 「幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと」
 「個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと」
 「正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと」
 「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと」
 「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」
 以上、教育基本法より。

 学校は、授業やその他の活動を通じて、これらの実現を図る。
 これだけ多くの目標があると、その実現には相応の時間と費用がかかる。
 世の中には義務教育はタダだと思っている人がいるようだが、受益者の負担がないだけであって、中学生一人当たり年間約100万円の税金が投じられている計算になる。
 月々数万円の塾でできるのは、せいぜい「幅広い知識と教養を身に付け」の部分の、さらに一部分であろうが、それを完全に履行すれば、入試に合格するという目標は達せられる。

◆「覚える」→「試す」の反復
 話が横道にそれてきたので、元に戻す。
 求められる一定量の知識さえ覚えてしまえば、受験勉強はほぼ完成だという話である。

 知識の定着には反復が必要である。
 「覚える」→「試す(確認する)」→「また覚える」
 特に「試す」の部分が重要で、そのためには問題集を繰り返し、小テストを頻繁に行うことが必要だ。
 塾に行かず、一人でも出来るが、塾の方が競争環境を作りやすい。
 入試は結局のところ、勝った負けたの競争であるから、競争に慣れ、競争に強い子になったほうがいい。

 本来なら「覚える」の部分は、学校で済ますか、個人で家で済ますかして欲しいところだ。
 しかし、総じて塾の先生の方が、面白く分かりやすく教える術に長けているため、子供たちは「塾で教わればいい」となりがちで、学校の授業や家庭での学習がおろそかになりがちだ。
 皮肉なもので、分かりやすい教え方をすればするほど、学校や家で勉強しない子を作り出してしまう。

 塾は教えない、ただ試すだけのところ。
 (もちろん解説は念入りにするが)
 そうなれば、もっと入試に強い子が出来上がるだろう。

◆試験はたった1回
 通常、入学試験は「entrance examination」と呼ばれる。
 学校では、「定期考査」「定期テスト」「定期試験」、さらには「復習テスト」、「確認テスト」、「小テスト」などがよく使われる。
 しかし、これらはみな「お試し」や「確認」が主たる目的だ。

 それに対し、「入学試験=entrance examination」は、「選抜」が目的だ。
 分かっていることが確認できても、だから合格とはならない。
 人よりたくさん点数を取った人の勝ち。 

 先ほど、「覚える」→「試す(確認する)」→「また覚える」が重要と書いたが、入学試験というのは、たった一回「試す」があるだけで、その後の「また覚える」はない。
 要するに一発勝負だ。
 その、たった一回の「試す」のために、何度も何度もテストを繰り返す。
 3年生になると、年がら年中テストで大変だと言うが、ワンチャンスをものにするためには、それでも少ないくらいだ。

 つべこべ言わず、覚えられるだけ覚えろ。
 そして、覚えるという活動は、入力と出力でワンセットだから、解答するという形で出力してみることだ。
 それでも覚えられないのは、頭の構造がそういうものに向いていないか、量や回数が不足しているかのどちらかだ。

 入学試験で測れるのは能力の一部分だから、たくさん覚えられなくても落胆するには及ばない。
 人の能力なんて、全体としてはそんなには変わらないものだ。
 どこにあるかの違いだけだ。
 ただ、義務教育段階で求められているのは、才能というほどのレベルではないから、向いていないの一言で片づけないほうがいい。

 反復が求められる作業は、どうしても時間がかかる。
 早く始めた者の勝ちだ。