日本には起業家が少ないと言われている。
そうかな?
松下幸之助とか本田宗一郎とかいくらでもいたじゃないか。
ただ、考えてみるとわが国に現れたのは主に製造業か、流通業、小売(販売)業の分野のような気がする。
基本的に、そこには形のあるモノが存在する。
モノを作り、モノを運び、モノを売る。
もちろん、こうした産業がこの世から消滅することはなく、日本が得意とするであろうこれらの分野で起業家が現れることが期待されるわけである。
が、今言われているのは、おそらく「GAFA」(ガーファ)」みたいなIT(情報技術)分野で世界をリードする企業が生まれてないな、ということのようだ。
念のため「GAFA」(ガーファ)」は、
グーグル(Google)
アップル(Apple)
フェイスブック(Facebook)
アマゾン(Amazon)
フェイスブックは社名を変えたと思うが、以上4社。
たしかに、家にソニーやパナソニックの家電製品やトヨタの車はなくても、これらGAFAのサービス抜きに一日の生活も仕事も成り立たないわけである。
この現状を打破しなければならない。
それには人を育てることだ。
教育だ。
若い頃からIT(情報技術)に関心を持たせ、技術を身に付けなければ、日本は世界と戦えない。
これはもう三流官庁の文部科学省に任せておけない。
というわけで、最近の教育行政は、ある意味経済産業省主導で動いている面もあるのだ。
GIGAスクール構想で一人一台端末とか、高校での「情報」必修とか、小学生からのプログラミング教育とか。
むろん、文部科学省が動かなければ実現しないわけだが、その背景に経済産業省や経済界があるのは誰の目にも明らかだろう。
ちょっと手遅れという感もあるが、と言ってこのまま指をくわえて見ているわけにも行かないから、遅ればせながらIT(情報技術)に強い子供を育てよう。
そして、できれば世界を席巻するような起業家を輩出しよう。
まあ、そういうことだ。
◆学校で起業家が育てられるのか
はたして学校教育の中で起業家を育てられるのか。
それは無理。
そういう人もいるだろう。
実際、今活躍している起業家・事業家も学校教育の結果かと言われると、どうもそうでは気がする。
また、企業すら知らない(経験していない)教員に、起業家が育てられるのかという人もいるだろう。
これも、たしかにその通りだ。
じゃあ誰が育てるのよ。
そこらに放っておいて育つなら苦労はない。
フェイスブックのザッカーバーグだってハーバードだし、アマゾンのベゾスだってプリンストンだ。
教育は受けているんだ。
なので、ここはやはり教育の可能性を信じなければならない。
少なくとも本ブログの読者である先生方には、学校教育を通じて将来の起業家を育てるのだという気概を持ち続けて欲しいのである。
◆経験は必要ない
学校の先生は世間を知らない、企業を知らない、経験がないということだが、これはまったく心配ない。
むしろ、中途半端にそんなもの無いほうがいいくらいだ。
なぜか?
理由は簡単だ。
起業家に経験は不要だからだ。
経験がないことにチャレンジするのが起業家だからだ。
たとえば、起業家を呼んで経験談を聞く。
悪くはない。
しかし、それを真似するようでは、すでに起業家ではないのだ。
だから、先生に企業や起業の経験があるかどうかなどは、どうでもいい話なのだ。
「経験ないのに教えられるんですか?」と聞かれたら、「ああ、ないよ。それがどうした」と言っておけばいいのである。
起業家教育と称して、会社づくりとか商品(サービス)開発ごっこをやっていたりするが、ふざけるな。
そんなんで起業家が生まれるはずないだろう。
起業するにも、それを継続するにも、人並みはずれたタフな体と精神が必要なことは誰だって分かるだろう。
失敗を恐れない。
何度も立ち上がる。
人と違うことを恐れない。
周りもそれを肯定する。
つまらんことに興味を示す。
ささいなことにこだわる
納得行くまで調べ尽くす。
人のために尽くす。
仲間を大事にする。
と、結局のところ、精神なのだ。マインドなのだ。
育てたいのは起業家精神の土台だ。
授業の工夫が基本だが、体験も重要だ。
学校の役割はそこまで。
あとは勝手に考えてやれ。
実際に起業家にならなくても、そうした精神を持った若者が増えれば、世の中楽しくなる。
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