「オマエのためを思って言っているんだ」、「本当は私だってここまでは言いたくないんだ」、「こんなことを言ってくれるのは俺ぐらいだぞ」。
 以上を前置きにしたアドバイスは真剣に聞かなくてよろしい。いや、むしろ聞いてはいけない。

 本当に相手のことを思うなら、相手にとってためになるという確信があるならば、自分は善意の人間であるアピールは不要だ。
 もしかしたら相手を傷つけてしまうかもしれない、相手から嫌われてしまうかもしれない。そこは避けたいから、ことさら善意をアピールする。
 なんだ、最初にあるのは「自分のため」じゃないか。
 だから、真剣に聞く必要はない。

 では、前置き一切なしのアドバイスは信じられるか。
 これが難しい。
 世の中には、相手を傷つけるかもしれないという想像力が働かない人がいる。自分本位なので、前置きなしでズバズバ切り込める。
 私のことだ。

 一体、誰のアドバイスを信じればいいのか。

 問題なのは言葉ではない。態度であり行動である。学ぶべきことはその人の行動の中にある。
 自分もこうありたいと思うような人がいたら、その人の言葉には耳を傾けてもいい。適切なアドバイスは、取り返しのつかない失敗を避けてくれる。自分の成長を早めてくれる。信じられる人がいる人生の方が、いない人生よりも幸せだ。

 さて今日の話題。なぜ突然にこの話?
 明後日行われる保護者向け講演会の資料を作っている。主催者から保護者の役割について触れて欲しいという要望があるのは、数日前に書いたとおりだ。
 「勉強しなさい。あなたのためよ」は止めましょう。助言を装った命令・強制はやめましょう。
 「勉強しなさい」まではいい。ただ、「あなたのためよ」の一言が台無しにしてしまうかもしれませんよ。そんな話をしようと考えているうちに、振り返れば、「オマエのために言ってるんだ」というアドバイスの中にろくなものはなかったなと思い出し、今日の話題となったのである。