受験を控えたみんなに、今から激励の言葉を述べることにする。が、頑張れだの全力を尽くせだの、そんなものは聞き飽きているだろうし、ボキャブラリーの貧しさを晒すようなものだから、それは言わない。

 よく努力は裏切らないというが、これは成功者のみ使うことが許された言葉である。
 努力とは成功者のプロセスのことであって、失敗した者のプロセスは努力とは認定されない。
 したがって、君たちにはぜひ数週間後、成功者がしばしば口にする「努力は裏切らないという言葉を信じてきましたが、やっぱり本当でした」というセリフを大威張りで言ってもらいたいと思う。さぞかし気持ちいいことだろう。
 本当は、少しばかり運に恵まれただけだとしても、そんなのは知ったことじゃない。ここは努力の結果ということにしておけ。

 今も言ったように、成功に結び付かなかった努力は、そもそも努力と呼ぶに値しないものである。
 結果は悪くても、それまでの努力は無駄にならないなどと気休めを言う人がいるが、嘘を言うもんじゃない。
 成功をもたらさなかったものは、一見努力に見えるが、真の努力ではないから、そんなものを後生大事に温めていたら、また同じこと繰り返しになる。努力が足りなかったのではなく、その努力は偽物だったのである。さっさと捨てろ。

 試験とは、今までみんなが努力と思ってやってきたことが、本物だったか偽物だったかを明らかにしてくれるものだ。

 偽物と判定されたら、躊躇なく捨てる。これでいいと思うが、では、本物と判定されたらどうするかだが、これが意外と難しい。今回の成功をもたらした努力は一回限りのものであって、次の成功には、また別の努力が求められる。一つの努力で繰り返し成功が得られと考えるのは虫が良すぎるというものだ。
 結局どちらにしても、古い上着は脱ぎ捨てるのだ。

 そう考えれば、入試というのは、終わりのように見えて、実は始まりの日であることに気づくだろう。過ぎ去った日々を振り返るのではなく、新たな旅立ちの第一歩を踏み出す日である。
 
 前を見ようぜ。
 晴れ晴れとした気分で、その朝を迎えて欲しい。弁当忘れんな。