先生方は「言ったのに伝わらない」という経験を嫌というほどしていると思う。民間の企業活動でも似たようなことがあって、売れない営業マンが上司から「お前、ちゃんとお客に説明したのか」と年中怒られている。で、怒られた方は「はい、言いました」と、売れない理由をお客の理解不足に転嫁する。
こうした場合、上司は「言ったのか」ではなく、「伝えたのか」、あるいは「伝わったのか」と問わなければならない。言ったか言わないかを問われれば、10人が10人「言いました」と答えるに決まっている。だが、言うという行為は、いわばただの「お知らせ」であって、お知らせしたからといってモノが売れるわけではない。
相手の行動変容を促したかったら、ただお知らせするだけではダメで、伝えるという作業が必要になる。言葉として知らせ、聞いた方が言葉として理解したとしても行動にはつながらない。
だから学校や塾が、子供や親に入学・入塾を決意して欲しかったら、ただのお知らせにとどまらず、伝えるということを強く意識しなければならない。
お知らせに特段の技術は要らない。求められるのは早さと正確性だ。
お知らせは言語で行われる。話すにしても書くにしても基本は言語である。
それに対し、伝えるという作業においては、早さはさほど重要でないことが多い。むしろ反復性、継続性が求められる。簡単に言うと、言い続けるということだ。
また、お知らせとの際立った違いは、言語以外の方法も用いられる点だ。
私たちは日常、言語以外の方法で、すなわち非言語でさまざまな事実や感情を相手に伝えている。
試合に負けた選手が「力は出し切ったので悔いはありません」と言ったって、いやいや顔に悔しいって書いてあるよという場面はよくあるわけで、この場合、言語では「悔いなし」となるが、非言語では「悔しくてたまらん」が伝わるわけである。
良くも悪くも、伝える力の元は、表情や態度、行動といった非言語にあり、というところだろう。
1回だけ来てお知らせして帰った営業マンと、何度も訪れて熱意を示した営業マン。われわれはどちらの営業マンからモノを買うだろうか。
これから学校説明会など募集広報活動も本格化する。
各校担当者におかれては、「伝える」をこれまで以上に強く意識してもらいたいと思う。
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