コロナ問題は別として、巨大になり過ぎたオリンピックは根本的に見直す時期なんだろう。
いろんな競技あり過ぎ。
試しに前回の1964年東京五輪と今回の2020年東京五輪と比較してみる。
【1964年東京五輪にはなかった競技】14競技
卓球
テニス
バドミントン
ラグビー
野球・ソフトボール
ハンドボール
ゴルフ
スケートボード
スポーツクライミング
サーフィン
テコンドー
空手
トライアスロン
アーチェリー
【1964年東京五輪にあった競技】19競技
水泳
陸上競技
体操
サッカー
バスケットボール
バレーボール
ホッケー
自転車競技
カヌー
ボート
セーリング
レスリング
ボクシング
柔道
フェンシング
ウエイトリフティング
近代五種
射撃
馬術
1964年東京五輪は19競技だったのに対し、今回東京五輪は33競技。
2倍とまでは行かないが、1.8倍ぐらいにはなっている。
前回からあった競技を見ても、そこに新たな種目が加わっている。
例えば。
水泳→アーティスティックスイミング(シンクロ)
体操→新体操・トランポリン
バスケット→3対3
バレー→ビーチバレー
サッカー→女子サッカー
柔道→女子柔道
レスリング→女子レスリング
ボクシング→女子ボクシング
ウェイトリフティング→女子ウェイトリフティング
競技の追加ではなく種目の追加であるが、これらも含めればとても2倍ではきかない
。
いろんな競技はあるのはいいことだ。
女子の種目が増えたのもいい。
それにしても、これだけの競技・種目の世界大会を同じ時期に同じ場所(都市)でやることにどれだけの意味があるのか。
多くの競技に世界選手権やワールドカップのような大会があるわけだし(それも増えすぎた感があるが)、何も全競技を一時期に一都市で開催する必要はあるまい。
私は前回五輪をリアルで知っている世代だ。
あの時の熱気、高揚感というものは今でも強く心に残っている。
が、夢をもう一度、という気分にはならない。
あまりにも商業イベントの要素が強くなり過ぎたからだろう。
競技や種目によっては、ここにすべてをかけている選手も大勢いるだろう。
だが、たとえばゴルフやテニスやサッカーや野球の選手が、本気を出してくるとは思えない。
出たいとさえ思っていないかもしれない。
かれらにとってワールドカップや四大メジャー大会やワールドツアーがすべてだ。
出場するのはアスリート感覚ではなくビジネス感覚から。
そういう競技は何もオリンピックでやる必要はない。
オリンピックそのものをやめろというのではない。
トッププレーヤーが出てこないような競技はオリンピック競技から外していい。
世界の一部地域でしか普及していない競技も要らない。
ぽっと出の若造でもメダルを取れるような競技はかえってオリンピックの価値を下げる。
と、偉そうなことを言っているが、東京招致の方針が決まったときは、つい喜んでしまった。
もう一度オリンピックが見られるかもしれない。
開催が決定したときは、もっと喜んでしまった。
生きている間にもう一度見られる。
が、コロナのこともあって、少し冷静になれた。
あの頃、無邪気に喜んでいた自分が恥ずかしい。
ちょっと言い訳すれば、私たちの世代にとって東京五輪は一種の成功体験なんだね。
その成功体験が冷静な判断を阻む。
気をつけなければいけない。
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