某高校で、いや、もう公表されているから名前を出そう。県立越谷西高校の2学期始業式で、校長先生がこのブログの一記事を引用したお話をしてくださった。
 誠に有難く名誉なことなので、この場を借りて感謝申し上げたい。

 が、それにしてもちょっと恥ずかしいな。
 こんなことがあるとは思わないので、年中おちゃらけた表現もしているし、乱暴な言い方もしている。
 
 埼玉県立越谷西高校ホームページ

 当該記事はコチラへ。
 2学期始業式式辞
  
 ここに、本ブログ8月14日付け記事「厚生労働省も言うように生活保護の可能性はあるんだ」を引用してくださった。
 校長先生とは面識はないが、事前に引用承諾を求める連絡をもらった。
 中身は高校生でも理解できるものなので、「よろしければ、どうぞ」と回答した。
 ただ、どこか一部と思っていたところ全文だったので、そこはちょっと驚いた。

 校長先生は私のブログを引用した後、ドイツの哲学者・社会学者ジンメルの言葉を紹介する。
 「一般に青年が主張する内容は正しくない。 しかし、青年が主張するそのこと自体は正しい

 校長先生はこの言葉を高校生のときに知ったと述べられている。
 私も言葉には記憶はないが、ジンメルの名を知ったのはたぶん高校生の時だったと思う。
 必修で「倫理」があったからな。
 「ソクラテスの弁明」とか「方法序説」をテキストに使用していた。
 あの頃に、プラトンから始まって、デカルト、カント、ヘーゲル、ニーチェ、キルケゴールと、古今の哲学者の名前だけは覚えた。

 話を戻すと。
 校長先生はここからさらに、弁証法に話を進める。
 先生は弁証法について、こう説明する。
 1 はじめにある考えがあります。
 2 ですが、やがて、その考えでは通用しないような経験や反対意見に直面します。
 3 その結果、はじめの考えは、この新たな経験や反対意見を包摂・統合して、より優れた考えに、より高みへと発展する

 独断(独りよがり)に陥らないための思考法の一つということで紹介しているわけだが、中学生には無理でも高校生ならこれで分かるだろう。
 ここでヘーゲルとかマスクスとか言い始めると、生徒の思考は完全にストップするから、余計な肉をそぎ落としているところもいい。
 小池東京都知事だったら3番目をアウフヘーベンとか言い出すのだろうが、それも余分なので言わない。

 校長先生は、きみたちはどんどん主張していい。
 ただ、社会経験が未熟なキミたちは間違うこともある。
 その場合は、それを率直に認め、よりよい考え方にたどりつけばいい。
 成長とはそのことである。
 といったことを仰っている。

 ね。校長先生って、いい話してるだろう。
 全国の校長先生は、みんな立派な話をしている。
 なのに生徒の方は何も覚えていないという。

 でも、それでいい。
 我々は何を食って大きくなったかなんて、いちいち覚えちゃいない。
 親に何て言われて育ってきたかも、ほとんど忘れている。
 だが、食ってきたもの、言われてきたことが血となり肉となり、今日がある。
 
 記憶に残っていなくても、食ったものは食ったものとして身になっている。
 同様に、覚えていなくても、聞いたことは聞いたこととして身についている。

 校長先生方、これからもいい話をお願いします。