10月12日、埼玉県教育局は公立学校教員採用試験の結果を発表した。
 「令和3年度実施(令和4年度採用)の埼玉県公立学校教員採用選考試験の結果について」

 6月中旬に志願状況(志願者数と採用見込み数)がすでに発表されており、その時点で倍率が最近5年間の中では最低を記録するであろうことは分かっていた。
 もちろん志願しても実際には受験しない人もいるから、倍率は最近5年間では最低だった。
 一応、過去データをもとに、最近5年間の小学校・中学校・高校の受験者数・合格者数・倍率をまとめてみた。

 

 小学校は採用見込み数750人に対し、最終合格者は801人とやや多く、倍率は2.1倍だった。
 受験者数は年々減少しており、倍率も最近5年間では最低だ。
 次年度の採用見込み数は不明だが、このままだと2倍を割る可能性がある。

 中学校は採用見込み数500人に対し、最終合格者は497人とほぼ同数で、倍率は3.8倍だった。
 こちらも受験者数、倍率とも最近5年間では最低だ。

 高校は採用見込み数330人に対し、最終合格者は368人とやや多く、倍率は3.9倍だった。
 受験者は前年の1431人に対し、今年1419人とほとんど変わらないが、最終合格者が前年の208人(採用見込み数は200人)から約150人増えたので倍率が6.9倍から3.9倍へと急降下した。
 ただ受験者数も平成30年の1972人と比べると、1419人と大きく減少している。

 倍率はその年の最終合格者数(≒採用見込み数)に左右される。
 小中高とも前年より倍率が低下しているのは、最終合格者数の増加によるところが大きく、仮に最終合格者数が前年並みであったとしたら、それほど極端な倍率低下にはなっていない。

 とは言え、やはり気になるのは受験者数の確実な減少である。
 教員希望者の減少は由々しき問題である。

◆なぜ教員人気は低下したのか
 公立学校教員の給与は、ご存知のように民間給与に連動する形で決められている(人事院勧告による)。
 参考にされる民間企業は一定規模を擁する企業で、たとえば私のような零細企業は調査の対象になっていない。
 というわけで、民間の大企業を上回ることもないし、と言って大きく下回ることもないのが公立学校教員の給与だ。
 民間が上がれば上がり、下がれば下がるといった関係だ。
 ぜいたくを言えば切りがないが、「まあまあ」といったところだろう。

 年休(年次有給休暇)も、初年度から20日間もらえて、翌年以降は20日間繰り越し可能(厳密には初年度だけ15日だったと思うが)。年休が1時間単位で取れるのが便利だった。
 産休・育休も民間企業より、また一般の公務員より有利な条件だった。

 というわけで、ここまでは公立教員を避ける決定的な理由にはならない。
 もちろんこれは個人的感想であるから、いろいろなご意見はあるのは承知している。

 昔は勤務時間(労働時間)の管理が杜撰だった。
 とてもゆるかった。
 ある意味、ここが先生稼業のうまみでもあったわけだ。
 最近「定額働かせ放題」などという言葉を耳にするが、一方では「定額サボり放題」の部分もあった。
 が、今の時代、これは通用しない。
 長年放置されてきたこの部分が、今問題になっている。
 ここは公立教員を避けたい一つの理由になっているだろう。
 朝の早出残業有、夜の残業毎日有、土日出勤有、但し手当なし。
 アルバイト募集だったら絶対に誰も来ない。

 学校や先生が請け負う任務が爆発的に増加。
 昔の先生と今の先生を比べたら圧倒的に今の先生の方が働いている。
 いつのころからか学校はサービス業だ、などと言われるようになった。
 たしかに農林水産業でも製造業でもないから分類すればそうなるのだろうが、民間の教育サービスなどと比較され、それと同水準を求められると辛いものがある。
 民間は追加的サービスに対し付加的料金を請求することができるが、公務員にはそれができない。
 もっとも、金をもらったとしても身体や精神をぶち壊してまで働きたくはないわけで、これも公立教員を避けたい理由になっているだろう。

◆熱血教師よりサラリーマン教師
 昔、「サラリーマン教師」という言葉があった。
 最近はあまり耳にしない。
 生徒に関心を示さず、教育に対する情熱もなく、決められた最低限の仕事しかしない先生という意味だろう。
 先生を辞めてからサラリーマンに転向した私からすれば、サラリーマンに大変失礼な言い方である。そんなんじゃサラリーマンやって行けないぞ。過労死って言葉はサラリーマンのためにあるんだ(死んではいけないが)。
 
 それと対極にあるのが「熱血教師」。しかしこれも、結局は人の嫌がる仕事や気の進まない仕事に情熱を傾けているんじゃなく、好きなことや得意なことに心血を注いでいるのであって、企業社会では迷惑者扱いされる可能性が高い。

 というわけなので、「熱血教師>サラリーマン教師」という考え方をこの際いったん止めにしよう。
 むしろサラリーマン教師で結構。
 給与をもらってそれに見合った仕事をすればいい。

 それ以下であることが責められるのは当然として、ちょうど良いが認められず、それ以上が求められる。
 これでは「なりて」は減る一方だ。

 熱血は放っておいても1割か2割は発生する。
 その確率は、お荷物やクズみたいなのが発生する確率とイコールだ。
 熱血はいてもいいが、全員に求めるものではない。

 制度や法律に問題があるのも確かだが、それを正したとしても熱血や無料奉仕が礼賛されるような風潮が改まらないと元の木阿弥ということになりそうだ。
 誰にでもできるお仕事です。
 人を集めるにはこれが一番手っ取り早い。