「副という立場で出来る改革など無い」。
 昔、ある人から聞いた言葉だが、久々に使う機会が訪れた。

 知り合いが、自らが属する組織の改革論を滔々と述べる。
 そこで私はこう言った。
 「だったら、会長を目指しないさいよ」
 「ありとあらゆる手段を講じて、トップに立つ」
 「これ以外に改革を実現する方法はないと思いますよ」
 「副とか平という立場で出来る改革なんてありません」

 責任のない立場で述べる改革論は、ただの愚痴でしかない。
 本人真剣だと思うが、他人には不平不満にしか聞こえず滑稽でさえある。

◆真意を理解するのに10年かかった
 ある人物が、その道の大先輩に相談を持ちかけた。
 「仕えていた『長』が引責退陣し、新しい『長』がやって来る」
 「自分が『長』に昇格する可能性もあった」 
 「この際共に辞め、新天地に移るべきかとも考えた」
 「だが、改革は半ばである」
 「副のまま残り、改革に邁進するべきか」

 という問いに対する大先輩の答えが、冒頭の「副という立場で出来る改革などない」である。

 傍で聞いていた私は、たしかにそうだよな、と思った。
 やっぱり権力握らないと。
 
 あれから10年、いや20年か。
 当時はトップに立たないと何もできないという程度にしか理解していなかったが、今は違う。
 大先輩は覚悟の話をされていたのではないか。

 改革を口にするなら、失敗した時は辞める(辞めさせられる)覚悟を持たなければいけない。
 覚悟を伴わない改革など無いのだ。

 長であれ、副であれ、改革を目指してきたと言うのであれば、上手く行かなかった時は潔く辞めるべきだ。
 責任を取るべきだ。
 残るなどという選択肢はない。

 なのに、「残って改革」などと言っている。
 この無責任野郎めが。
 そんな人間、どこへ行ったってせいぜい改革ごっこぐらいしか出来んぞ。
 実は、そういうキツーイお言葉だったのではないかと、今では思うわけである。

 大先輩は常に辞表を懐に改革に挑まれたのだろう。
 それを、簡単に「改革、改革」と口にするものだから、遠回しだがキツーイ一言を発せられたというわけだ。
 
 で、後日談だが、相談を持ち掛けたある人物は、どういう伝手を辿ってか、別のところに移り長となった。
 そして数々の改革らしきものを手掛けるもことごとく不調に終わり、本人抵抗むなしくついには引きずり降ろされた。
 覚悟なき口だけ改革者の悲しき末路である。

 改革は必要だ。
 改革なくして前進なし。
 だが、覚悟を伴わない改革など無い。