塾の先生方。ようやく時代が皆さんに追いついてきましたよ。
 というのは、某塾長さんとの雑談の中での話題だ。

 「それって、どういう意味ですか?」
 個別最適化された学び、というのは聞いたことあるだろう。

 「何か、耳にしたことはあるような・・・」
 まあいいだろう。文部科学省が盛んに使っている言葉だから、民間企業たる塾には直接は関係ない。

 では、GIGAスクール構想はどうだ。

 「それは知ってます。パソコン一人一台というやつですよね」
 そう。目に見える現象としてはそういうことだ。
 ちなみにGIGA(ギガ)はGlobal and Innovation Gateway for Allのことだ。
 Globalは、世界。
 Innovationは、革新的な技術。
 Gatewayは、扉。
 for Allは、児童生徒みんなのため。
 まとめて言うと、すべての児童生徒のための世界につながる革新的な扉ということになる。

 話を戻すが、では、GIGAスクール構想の目的を知っているか。

 「さあ、何でしょう」
 個別最適化された学びを実現することだ。
 以前は、公正に個別最適化された、という言い方だったが、最近は、誰一人取り残すことのない個別最適化された学び、という言い方をすることが多い。
 誰一人取り残すことのないというのは、不登校の子や特別な支援を必要とする子、外国人などさまざまな背景をもった子を意識したものだろう。
 で、大事なのは、1人1台端末や高速大容量の通信ネットワーク構築は、個別最適化された学びを実現するための手段ということだ。

 「そういうことだったんですね」
 たまたまコロナ禍と重なったためにオンライン授業のためのツールという点に注目が集まったが、そこは本来の目的ではない。まあ、それにも使えるという程度の話だ。

 「そこまでは分かりましたが、時代が追いついて来たというのはどういう意味ですか?」
 そう、そこだ。
 個別最適化された学びというのは、元来塾がもっとも得意とする指導ではないのか。

 学校の一斉授業にはついていけない子がいる。
 いわゆる、落ちこぼれだ。
 また、学校の一斉授業には飽き足らない子がいる。
 いわゆる、吹きこぼれ(吹きこぼし)だ。

 そういう子たちに対し、一人一人に最も相応しい方法、内容、進度で教えることができる。
 これが塾ならではの指導だ。
 ずっと、これでやってきた。
 言葉として用いては来なかったが、塾は、正に個別最適化された学びを提供してきたのだ。
 そういう意味で、時代がようやく追いついてきた。

 「我々は自信を持っていいんですね」
 さあ、それはどうだろう。
 結果として、時代を先取りしていたと考えられなくもない。
 そういう解釈も可能だと言っているだけだ。

 それと、勘違いされては困るが、うちは個別指導塾だとか、そういう次元の話ではない。
 個別指導塾だからと言って、指導の個別化が実現されているとは限らない。
 一人一人の特性や学習進度、学習到達度に応じて、指導方法・内容・教材が設定されていなければ、真の個別は実現されていないことになる。
 また、子供の興味・関心などに応じた課題設定、すなわち学習の個性化が行われていなければ、真の最適化は実現されていないことになる。

 「今のままではダメだということですね」
 それは私が決めることではない。
 ただ、今求められている個別最適化された学びに、かなり近いところにはいたと思う。
 だから、その経験は生きるだろう。

 公教育は最近になって個別最適化された学びと言い始めたが、我々は最初からそれでしたという言い方は出来るかもしれない。ただ、デジタル化されていなかっただけ。

 ついでだから教育DXの話もしておこう。

 「それも、耳にしたことがあるような・・・」
 DXはデジタル・トランスフォーメーションだ。
 思いっきり端折った言い方をするが、教育DXの目的も、個別最適化された学びの実現だ。
 つまり、根底に教育DXの考え方があり、それがGIGAスクール構想につながり、一人一台端末という施策となった。

 教育DXは、デジタル技術を活用し、学習のあり方やカリキュラムを革新させる。あるいは教職員の業務や組織、プロセスを革新し、学校文化そのものを変革するという大きな概念だ。
 すでに企業社会では、DXを担う部署や担当があるのは当たり前になっている。役所にだってある。
 まあ、看板は掲げたものの手探り状態というのが実際のところと思われるが、とにかく時代はそっちに向かっている。
 聞いたことはある、などとのんびりしたことを言っている場合ではない。