埼玉新聞社高校受験ナビに連載してきた「埼玉県公立高校の歴史を紐解く」シリーズが第6回(最終回)で完結したので、まとめてご紹介。
その都度読んでくださった方もおられるだろうし、所々抜けた方もおられるだろう。未読の記事がある方はぜひお読みいただきたい(PR)。
【埼玉県公立高校の歴史を紐解く】第3回 昭和時代(戦前)創立編
【埼玉県公立高校の歴史を紐解く】第4回 昭和時代(戦後)創立編
【埼玉県公立高校の歴史を紐解く】第5回 昭和時代(高校急増期)創立編
私は昔、社会科の教員だったので、歴史は嫌いじゃない。
現役教員時代、勤務校の10周年記念誌編集に携わった。
ベテラン先生たちが若いもんに好きなようにやらせてくれる学校だった。
なので、やりたい放題。
当時32歳。
現在の基準で言えば、セクハラや名誉棄損で訴えられるレベルなので、とてもじゃないがこの先は公開できない。
自分と同じ年に赴任した先輩女性教員のことを「動悸の姥桜」呼ばわりしているし、〇〇教頭が赴任してきてから職員会議が異常に長くなったとか、〇〇校長の話は睡眠薬になるとか、とにかく全部実名で言いたい放題。
私が40歳の若さで教員を辞めた原因はこういうところにある。
記念誌と言えば、平成14年に埼玉県私立中学高等学校協会の「創立50周年記念誌」の編集にも携わらせてもらった。
奥付に「編集:株式会社メディアバンクス」と記されている。
私にとっても記念すべき書籍である。
企画の一つに歴代会長の座談会というのがあった。第3代九里総一郎先生、第5代川端幹雄先生、第6代佐藤栄太郎先生、第7代松﨑洋右先生が集まり、埼玉私学の歴史や将来について語り合った。個性の塊のような大先輩たちは他人の話なんぞろくに聞かず、自らの意見を滔々と述べるので、話し合った風にまとめるのに苦労したぜ。
話を戻す。
以前から一度、県内公私立高校の歴史をまとめてみようと思っていた。
大体は頭の中に入っているが、それをきちんと文字化しておくことも大切だ。
自分で言うのも何だが、私の強みはどの学校をとっても、その風景を思い浮かべることができる点だ。
基本的にはその学校のHPにある「沿革」を参考にしているのだが、たった数行の記述であっても、あんなことがあった、こんなこともあったと、思い出を辿りながら書いた。県内公立高校をぐるりと一巡した気分だ。
初めて知る事実もあった。
意外な発見もあった。
歴史を振り返ることで見えてくるものもあった。
この後、私立編を書く予定だ。
2回か3回かかるだろう。
全部書き上げたら、もう少し各校の特徴にも触れながら加筆し、書籍化してみよう。
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