明けましておめでとうございます。
 早速だが私はうさぎ年である。年男である。
 次に巡ってくるのは2035年、84歳の時であるが、その時はもうこの世にいないか、いたとしてもブログは書いていないだろう。

 近所の調神社(つきじんじゃ)に初詣に行ってきた。
 ここは「調(つき)」=「月(つき)」の連想からか「兎」に縁の深い神社である。
 神社の入口では狛犬ならぬ狛兎が参拝客を出迎えるが、今年はうさぎ年とあって、例年より賑わっている印象だ。

◆ウサギとカメ
 うさぎで思い出される話を二つ。
 一つは「ウサギとカメ」
 ウサギがカメにしてやられる話だ。

 まずウサギはこう言ってカメを挑発する。

 もしもし かめよ かめさんよ
 せかいのうちで おまえほど
 あゆみの のろい ものはない
 どうして そんなに のろいのか

 何んという性格の悪さ。
 弱い者いじめの原点はウサギにあり。
 友達にしたくないタイプ。

 だが、カメはあえて挑発に乗る。
 本来ならここでウサギは「えっ、なぜ?」と疑ってみなければならない。
 カメはなぜ勝ち目のない戦いに乗ってきたのか。
 何か策略があるに違いない。

 しかし、軽薄なウサギはそうは考えない。
 「おいら、カメの100倍くらいのスピードで走れるもんね」
 「絶対負けるわけねえ」
 たしかにウサギは時速40㎞くらいのスピードで走ることができる。
 対するカメはどんなに頑張っても時速400mがいいところだろう。
 
 ところが頭の良いカメは長距離での戦いを挑んできた。
 ウサギがカメより圧倒的に速いのは短距離での話だ。
 距離が延びれば延びるほどアドバンテージは失われる。
 ウサイン・ボルトに100m走で勝てる人はいないが、フルマラソンなら勝てるという人は世界中にいくらでもいる。
 ウサギはこのレースの条件を冷静に考える必要があった。
 
 この寓話から得られる教訓は一般的には「油断大敵」なのだろうが、ウサギの敗因はカメの提案したレース条件を安易に飲んでしまったところにある。
 結果は始まる前から決まっていたのだ。
 「己の強みや適性を考えて、勝てる戦いを挑め」
 これが、この話から得られる最大の教訓である。

◆因幡の白兎
 二つ目は神話だ。
 ウサギが大国主命に助けられる話。

 ウサギは向こう岸に渡ろうとサメを騙して仲間を集めさせる。
 その上をピョンピョン跳ねて向こう岸に渡ろうとしたのだ。
 まあ、ここまではギリギリ許してもやっていい。

 が、ウサギの野郎、最後の一匹の手前で、「バーカ、お前らだまされたんだよ」と言わなくてもいい一言を放ってしまう。
 それでサメから報復を受け、皮を剝がされてしまう。
 自業自得だ。

 そこに神様の一団がやって来る。
 神様たちは「海水を浴びて日に当てれば治る」と教える。
 そんなわけねえだろう。
 痛みが増すだけだ。

 もしかしたら神様たちのお仕置きか。
 だが、こいつら自分たちの荷物を後から来る弟の大国主命に持たせているくらいだから、性格悪いんだろう。

 大きなふくろを かたにかけ
 大黒さまが 来かかると
 ここにいなばの 白うさぎ
 皮をむかれて あかはだか

 大国主命(大黒様)の袋の中身は、こいつらの荷物だったんだな。

 性根の腐った連中だ。
 徹底して弱い者をいじめる。
 
 が、それにしてもウサギ、科学的知識なさすぎ。

 で、最後は優しい大国主命が現れ、ウサギは救われる。

 この神話は大国主命が主人公なのだが、ウサギにスポットを当てれば、他者を騙すという方法で自分の望みを叶えようとしたところに問題がある。
 現代ではこれを詐欺という。
 騙し通してさっさと立ち去ればいいものを、余計な一言を浴びせ嘲笑する。
 性格の悪さなのか、実はバカなのか。
 まあ、両方だろう。

 そんなわけで、己を過信するわ、人を騙すわ、弱い者いじめはするわで、ウサギってろくなもんじゃねえな。
 今年いいことなかったら、十二支から外すぞ。