埼玉県公立入試学力検査、明後日に迫ってきた。
 当日朝は、某高校に出向き、試験会場に入って行く受験生の様子を撮影する。
 取材が可能な学校は、東西南北各地区から1校ずつが県教委から示される。
  
 テレビ、新聞各社の本社や支社・支局はさいたま市に集中しているので、たぶん皆、南部地区の学校に来るだろう。
 私もそうする。

 それが終わったら、事務所に戻り、新聞社から依頼されている原稿を書く。
 今年度の問題の傾向や特徴についての記事だ。
 執筆にあたって、とりあえず5教科の問題を解かなければならないが、これが大変。
 近年は、頭の中にある知識をそのまま吐き出せばいいような問題が減り、グラフや地図や写真などの資料を読み込まないと解けない問題が増えた。問題文もやたら長い。
 記憶力プラス読解力、情報処理能力が求められる。
 つくづく今の受験生は大変だと思う。
 しかし、これからは「答えのない(正解のない)問いに答える」能力が必要なのだそうだ。
 だから、知識や解答プロセスの丸暗記では解けない問題を出すことにしたらしい。

 一つの答えがあると分かっている問題を解けないような人間に、はたして複数の解があり、もしかした解そのもが存在しないかもしれない問いに答えられるものなのだろうか。
 まずは、たった一つの答えが存在することがはっきりしている問いに答えられるようになるのが先だろうよ。
 と、「骨の髄まで昭和」の私などはそのように考える。

 手持ちの武器が、知識スカスカの「空っぽの頭」だとしたら、どうやって論理を組み立てるのか。
 どう言語化してどうコミュニケーションを図るのか。
 
 とにかく教科書の内容を全部覚える。
 意味なんて分かんなくていい。
 だいたい物事の意味なんて、後で分かってくることの方が多い。
 だから、今はとりあえず頭の中に入れておく。
 つまりは、棒暗記、丸暗記。

 これをやっておけば、そのうち何かの拍子に、あるいは別の新しい知識を入れたり、新たな体験をしたときに、「ああ、あの時のあれって、こういう意味だったのね」と理解する瞬間が訪れる。
 だが、とりあえず頭に入れておくという作業をしておかないと、一生このような瞬間は訪れない。

 人は自分が受けた教育を最良なものと思いがちなのだそうだ。
 少なくとも間違いだったとは思いたくない。
 自己否定につながるからだろう。
 そんなわけで、ここまでの話は、人生の表舞台から退場間近の年寄りの戯言と片づけてもらっていい。

 話を入試に戻す。

 入試問題はその性質上、原則答えは一つでなければならない。
 やれ思考力だ、判断力だ、表現力だと言っても、結局は知識の勝負であって、これで大勢は決する。
 入試まで残すところあと一日。
 もう何もやらなくてもいいが、どうしてもというなら、単純な知識の再確認だろう。
 難しいことをやると頭が疲れるから、それはやめておいた方がいい。