昨日、「いい加減にホームページの校長写真差し替えたらどうだ」と学校名指しで指摘した。
 南稜高校のことだ。
 そうしたらなんと、今日になったら校長写真が替わっているではないか。

 このブログの影響か。
 いや、そんなことはあるまい。
 偶然の一致だろう。
 ちょうど学校が替えようとしていた、その前日に私が指摘した。
 そういうことだろう。

◆南稜高校の初代校長
 さて、1か月遅れながら、めでたく新校長が就任されたことでもあるし、ここで少し南稜高校について語っておこう。
 同校は1980年(昭和55年)創立である。
 この時期、生徒急増期ということで毎年5、6校ペースで次々に新設校が誕生したが、その中の一つだ。
 同期には大宮東、桶川西、庄和、草加東、所沢中央、三郷北などがある。

 初代校長は鈴木勲二先生である。
 後に浦和高校の校長なども務められた。
 10年ほど前に亡くなられたと思う。

 私は鈴木勲二先生のお名前を若い時から知っていた。
 今でこそ仕事柄、校長名に詳しい私だが30歳になるかならないかの若僧だったから、当時は他校の校長なんぞ知ったことじゃない。
 下手すれば、自分の学校の校長名さえ怪しい。
 そんな私でも知っていたのだから、よほどインパクトのある人物だったのだろう。

 そんな鈴木校長が思いっきり情熱を傾けて作り上げたのが南稜高校だ。
 私立と違って公立には創立者(創業者)はいないわけだが、私の中では南稜高校の創立者は鈴木勲二先生だ。
 開設準備の時から数えれば事実上5年間、この学校の経営に関わった。

◆学校名に地名がない
 所在地は戸田市美女木である。
 東京外環自動車道沿いにあり、美女木ジャンクションは目の前だ。
 当時の新設校は、田んぼや畑のど真ん中とか、ほぼ河川敷みたいなところに作られることが多かったが、ここの周辺は工場や倉庫が多い。
 今はすぐそばにイオンモールがある。

 学校ができて5年目、1985年に埼京線が開業したので電車でも通える学校になった。
 最寄り駅は「北戸田駅」だが、ここを最寄りとする学校にさいたま市立浦和南がある。
 両校は徒歩で20分程度しか離れていないだろう(試したことはないが)。

 公立学校の校名には、通常地名を含める。
 だから地名を冠さない校名に最初は驚いた。
 「えっ、それもありなんだ」
 当時川口北高教員だった私はそう思った。

 その後、新設されたり改称されたりで、進修館、いずみ、芸術総合、誠和福祉など地名を冠さない公立も生まれたが、いずれも専門高校である。
 校名に地名を含まないただ一つの普通科高校、それが南稜高校だ。
 (もっとも、後に外国語科ができたので普通科単独校ではなくなったが)
 それにしても「美女木高校」とか「戸田北高校」とか「蕨西高校」じゃなくて良かった。

◆部活はボート、女子サッカーなど
 部活は盛んな学校だと思うが、強豪と呼べるのはボート部くらいか。
 戸田ボートコースにも近く練習環境に恵まれている。
 全国大会狙うならボート部だ。

 近年好調なのは女子サッカー部だ。
 直近の関東大会予選はベスト4止まりだったが、全国を狙える実力派。

 かつて春季関東大会優勝の実績がある野球部だが、最近はいまいち。
 水泳部も埼玉栄・春日部共栄・武南など私立強豪に混じって、がんばっている。

◆大学進学は今後に期待
 進路については就職はごく少数で、専門学校を含めた上級学校進学がほとんど。
 大学は国公立受験者は稀で、私立が主流。
 早慶上智、GMARCHはたまに出る程度。
 日東駒専はそこそこ出るが大東亜帝国かそれ以下がメインといった感じだ。
 おそらく大学進学は指定校推薦などに流れ、一般チャレンジャーは少ないのだろう。
 入学時の成績を考えれば、妥当なところかもしれない。

 まあ、そういう不満も若干残るわけだが、生徒の満足度は高い。
 その証拠に毎年コンスタントに高倍率を叩き出す。

 現役教員時代は何度も行った学校だが、最近は足が遠のいているので、今度訪ねてみよう。
 最後にネタバレ。
 新校長とは彼が新任教員だった頃から部活がらみで交流があった。
 彼はその後、私の母校の部活顧問になったので、そこでの付き合いもあった。
 まったく縁もゆかりもない学校だったら、いくら辛口の私とて「いい加減にしやがれ」とまでは言わない。