最近頻繁に「なんなら」を使うようになってしまった。
 それと「ちなみに」。

 昨日講演会があったが、「なんなら」と「ちなみに」を封印しようと決意して臨んだ。
 決意とはやや大げさだが、このくらいの気持ちを持たなければ、つい口にしてしまう。
 
 「なんなら」については、NHK放送文化研究所のサイトにも、「最近気になる放送用語」として紹介されている。

 副詞「なんなら」の伝統的意味は「相手が実現を希望していることを仮定する気持ちを表す」。
 たとえば、「なんなら、こっちが出向いてもいいよ」、「なんなら、こっちから電話しようか」といった用法となる。
 つまり、相手をおもんばかりつつ、何かを提案するような文脈おいて使われる。

 ところが、近年は「カレーが大好きでさ、なんなら毎朝食ってる」といった形で使われている。
 これは明らかに伝統的な用法とは異なっている。

 私が気づくくらいだから、日本語の専門家はとうの昔にこの傾向に注目しており、たとえば二松学舎大学の島田泰子教授は「副詞「なんなら」の新用法 ―なんなら論文一本書けるくらい違う―」という論文を書かれている。
 (「島田泰子 なんなら」で検索すれば読める)

 言葉は生き物と言うから、時代時代で意味用法は変化する。
 本来の意味用法とは違った誤用であっても、みんなが使えばいずれ誤用とは認定されなくなる。
 こうした例はいくらでもある。
 「なんなら」も、どうやらこの領域に入ってきているようだ。

 まだお使いになったことがない皆さんは、なんなら一度使ってみるといい。
 どんな文脈でも使える超便利ワードなのだ。
 あまりの使い勝手の良さに、口癖になってしまうほどだ。
 もう「なんなら」抜きに会話できなくなる。

 私もすっかり感染してしまい、なんなら一日に100回くらい使っている。
 「なんなら」は通常、会話の冒頭では使わない。
 何かを言ったあとで、接続詞代わりにこれを挟んで、「なんなら」と続けるのがコツだ。
 いや待て。接続詞ではないな。
 接続詞には意味内容があって、使う場面はそれぞれ限定されている。
 「が」「しかし」と言えば、後に否定的な内容が来る。
 「だから」の後には肯定的な内容が来る。

 その点、新用法の「なんなら」には、ほぼ場面の制約はないのだ。
 いついかなる場面、文脈においても使用可能だ。

 超便利ワード「なんなら」は、会話のリズムを整えるにも好都合だ。
 だから、気のおけない仲間内の会話であればいくら使ってもよく、なんなら100回くらい使ってもどうってことは無い。
 ただし、今はまだ、講演というオフィシャルな場面やビジネスシーンにおいての使用については市民権を得ているとは言い難い。
 
 だが、私もすでに口癖になっているから、ついうっかり使ってしまうかもしれない。
 自分の意識の中では、昨日の講演の中で使うことはなかったと思うが、自信はない。
 録画を撮ってあるはずなので、恐る恐る確認してみることにする。