本日は主に公立学校管理職の皆様向け。
 ネットにこんな記事が載っていた。

 「教員は多忙」に元民間人校長が疑問、根源は「無駄の前例踏襲と鍋ぶた組織」 正規教員は「特権意識」、来賓に命令形の非常識(9月20日 東洋経済education × ICT)

 意気込んで教育界に飛び込んでみたものの、結局大した成果は上げられなかった元民間人校長の悔恨の記。
 インタビュー記事であるが、そういう理解でいいかな。

 記事の最後にこのようにある。
 「高野さん(仮名)が校長の任期を終えるとき、教育委員会から『民間人校長制度』の成果として教育現場の改善に意見を求められることはいっさいなかった。それどころか、後任の校長には教育委員会の幹部が送り込まれていた
 教委幹部による立て直しが必要になってしまったわけだ。
 残念。

 しかし、この方には責任はないね。
 むしろお気の毒。

 教育委員会のミッションの与え方が間違っている。
 またはミッションの受け取り方が間違っている。

 「高野さんが違和感を感じたことがもう1つ。それが『鍋ぶた型』の組織形態だ。校長と教頭がちょこんと上に飛び出しているだけで、ほかの教員は主任も新任も横一列で平等
 こんなもの校長一人の力で変えられるわけがない。
 と言うか、ここは手を付けてはいけないところだ。
 良し悪しは別として、それを前提として、あるいはその範囲で組織活性化や生産性向上を目指すべきだろう。

 「『教員の多くは社会経験に乏しく社会の現実に疎い状態だった』と高野さんは評する」。
 よく言われることだが、それはどうだろうか。
 ここは「社会経験」ではなく「民間サラリーマン経験」と言いかえたほうが実態を表しているだろう。
 給与(サラリー)をもらって組織で仕事しているという点では、民間サラリーマンも教員も大差ない。

 結局、民間人だって普段の活動範囲は業界に限定されているわけで、その程度の理由で自分の方が社会経験豊富だというのは、錯覚か、さもなくば思い上がりだ。
 仮に百歩譲って民間人の方が社会経験が豊富だとして、お前ら未熟だ、社会の現実を知れ、と言われても教員としてはどうしようもない。
 どうしたら自身が考えるところの社会経験を積ませられるか、どうしたら社会の現実を知らせられるか、そこを考えなくてはいけない。そのプランを示さなければならない。
 
 「『ただ、個別の学校現場で完結する改革も多いが、それ以上に県全体・国全体から変えなければ難しいことも多かった』と悔しさをにじませる」。
 だからそれは、始める前に確認すべきことであって、終わってから言うことではない。
 文部科学ホールディングスがあって、そのグループ会社や子会社として各教育委員会があるという構造だから、各学校はさしずめ支社か支店だ。
 つまり、民間人校長に与えられたミッションは支社・支店改革なのだ。
 教育改革なんて、はなから無理。
 
 文部科学省のサイトに資料がある。
 校長・教頭等の登用状況について

 これを見ると、前職が「支店長」とか「営業所長」とか「担当部長・担当課長」という人が結構いる。
 (お分かりと思うが、担当部長とか課長というのは部下のいない部長・課長)

 支店長や営業所長の限界は分かっていそうなものだが、転職して教育界に入って来ると民間流で学校社会や教育の在り方を変えてやろうと思ってしまうんだろうね。
 その気持ち、分からなくもない。
 自分もその立場だったらそう思ってしまう可能性大だ。

 最近、埼玉県では民間人校長という声はあまり聞かれなくなったが、もしやるんだったら、お互いミッションを確認すべきだろう。
 「民間の経験を生かして学校を良くしてください」みたいなホンワカしたものではなく、何をどう変えて欲しいのかを明確にしないといけない。

 あと、もう一つ。
 法や規則などは徹底的に勉強してもらう。
 特に公立学校はすべてそれらに縛られた世界だが、法の網をくぐるという言葉がある。
 あまり良い意味ではないが、いや、悪い意味だが、今まで法や規則の縛りで出来ないと考えられていたことをやってみせる。それこそ民間人の真骨頂というものだ。