今日の話は事実に基づいているが、できるだけ一般化するために多少の脚色を加えている。
 実名を出すことにそれほどの意味は無いと考えられるので、それもしない。

 以前取引があった会社にAという優秀な営業マンがいた。
 会社の社長はAの父親だが高齢ということもあり、実質的にはAが社長だ。
 同様の取引は他社ともあったが、それらと比べ、この会社の技術力が特別高かったとも思えないし、料金が格別安いということもなかった。
 だが、取引は長く続いた。
 他にもっと技術力の高い会社や、もっと低価格で請け負ってくれる会社があったのに、なぜだろう。

 自分自身、長いことその理由が分からなかったが、ある時ようやく気づいた。
 気づいたと言うより、頭の中が整理でき、言語化できるようになった。
 Aは、こちらがどんな要求をしても、絶対に断らない。
 そう言えば、長い付き合いの中で、「無理です」という言葉を聞いたことがない。

 私がAに、「納期、あと2日ほど前倒しできませんか」と尋ねる。
 こちらも素人ではない。量や工程を考えれば無理は承知の上だ。
 だが、お客様から何とかならないかと頼まれれば、即否定はできないので、ダメもとでお願いしてみる。

 するとAは間髪入れず一言、「分かりました」。
 普通ここは、「いやあ、それは無理ですよ」だろう。
 いろいろ言い訳やら、事情説明やら準備していたのに拍子抜けだ。

 後になって気づいたのだが、この場合、Aの「分かりました」は、私の要求を呑むという意味ではなく、私の要求の中身を理解したという意味なのだ。
 だが、「分かりました」と聞いた私は、俄然勇気が湧いてくる。
 そうか、出来るのか。可能性あるのか。
 そう勝手に解釈する。
 すると不思議なもので、もしかしてこんな方法は取れるんじゃないかといったアイディアさえ湧いてくるのである。

 これがもし「いやあ、それは無理ですよ」から始まったら、「そこを何とかできないか」「いや、絶対無理」の押し問答になって、いい知恵など思い浮かぶはずがない。

 私は、Aの「分かりました」に何度助けられたか分からない。
 実際のところ、やはり無理だったということの方が多かったわけだが、新たな手法の発見につながったこともしばしばだ。
 お互いが立場や事情を言い合いたくなる場面だが、「分かりました」の一言で、Aと私は同じ方向を向くことができたからだろう。

 私たちは、いや私は、本来助け合い協力し合わなければならない場面で、対立の構造に持ち込んでしまうことが多かった。
 それは私が、一言目に「分かりました」ではなく「いやあ、それは無理ですよ」と言ってしまう人間だからだろう。

 Aは私に大きな教訓を与えてくれた。
 相手が投げて来た球が、どんな剛速球でも変化球でも、場合によっては暴投であっても、とりあえずミットに収める。
 返球するのはそれからだ。
 そもそも捕球しなければ返球できないし、キャッチボールにならないではないか。
 
 以来私は、確実な捕球を心がけるようになった。
 まずは「分かりました」「そうですね」と確実な捕球に努める。
 しかる後に、相手が受けやすいであろう球を投げ返す。

 誠に残念なのは、私がこの極意に気づいたのがいい加減年を取ってからだったことだ。
 もう少し若い時分に、せめて40代、50代でこのことに気づいていれば、仕事も人生も大いに変わったものになっただろう。

 私よりずっと若いであろう読者の皆さんには是非、捕球名人を目指していただきたい。
 「はい、分かりました」
 「そうですね」
 「いいですね」
 「やりますよ」
 「出来ると思いますよ」
 この手の語彙をどれだけ持てるかが、たぶん捕球名人への道だろうというのが、年老いて辿り着いた結論だ。

 まあ手遅れと思うが私も努力してみる。