今日の訪問校(取材校)は秩父農工科学高校である。
  
 浦和からだと外環道、関越自動車道、寄居バイパスと有料道路をめいっぱい使って約2時間。
 そうそう気軽に行ける場所ではない。
 なので、10年ぶりの訪問だ。

◆秩父はすべて山の中
 秩父は山のイメージが強く、埼玉県民でも秩父はすべて山の中と思っている人がいるようだ。
 だが、秩父市の中心部は秩父盆地にあり、山に囲まれているだけであって山の中ではない。
 観光客も多く、それなりの賑わいを見せている。
 私も先週、羊山公園に芝桜を見に行った。

◆7学科を擁する複合型専門高校
 同校には農業系、工業系、家庭系合わせて7つの学科がある。
 学科数では県下最多。

 同様タイプの学校としては、工業系、商業系、家庭系で合わせて6学科を擁する新座総合技術高校、越谷総合技術高校がある。
 この2校には商業系があるが秩父農工科学にはなく、その代わり農業系がある。

 学科構成的には「秩父総合技術高校」でも良さそうなものだ。
 だが、ルーツをたどれば明治33年(1900年)創立の秩父郡立乙種農業学校であり、その後も「農林」「農業」「農工」を名乗ってきた。
 だから、平成17年(2005年)の秩父東高校との統合の際も(事実上、秩父東の廃校)、「農工」は捨てなかった。
 昭和の終わりにできた新参者と一緒にされてたまるかというところだろう。
 とは、私の勝手な推測である。

 現在の学科構成は、次のとおり。
 【農業】
 農業科
 森林科学科
 食品化学科
 【工業】
 電子システム
 機械システム
 【家庭】
 ライフデザイン
 フードデザイン

◆「ライフデザイン科」が分かりにくい
 今回のシリーズでは、農業系でいずみ高校、工業系で三郷工業技術高校を取り上げることになっているので、家庭系の2学科を中心に取材した。
 家庭系の2科は以前は生活技術科といったが、平成17年に「ライフデザイン科」「フードデザイン科」に改組した。

 「フードデザイン科」は、一般に馴染みのある名称に置き換えれば「食物調理科」だ。
 調理師免許の取得をめざす。
 似たようなイメージの学科として農業系に「食品化学科」があるが、こちらは食品そのものの「製造・加工」を行うほか、流通や販売まで学ぶ。

 帰りにお土産にいただいたジャムであるが、これを生産するのが「食品化学科」で、これを使ってスイーツを作るのが「フードデザイン科」である。

 「ライフデザイン科」が分かりにくい。
 というか、中学生への説明がやや難しい。
 食物、被服、保育、福祉などを幅広く学ぶ。
 「保育基礎」、「ファッション造形」などは明らかに学科独自の科目だが、ここに「フードデザイン」という科目が入ってくるからややこしい。

 「ライフデザイン科」に「フードデザイン」という科目があり、「フードデザイン科」にはない。
 生徒含め内部的な混乱はないと思うが、われわれ外部の素人には非常に分かりにくいところだ。
 卒業後の進路を見ると、医療・看護や保育・幼教が多いので、その点が「フードデザイン科」と異なるところだが、中学生用記事でどう伝えようか悩んでいるところである。

◆バイク通学OK
 都会の学校では見かけない風景がこちら。

 通学方法は、自転車、電車、バスの順だが、その次辺りに徒歩と並んでバイクがくるのが、他では見られない現象だ。
 この学校では、いわゆる「三ない運動」廃止以前からバイク通学が認められている。
 地域の実情に即したものであり、またその分安全指導も徹底しているということだ。

◆地域に愛される学校
 学校に着いて、車の台数に驚いた。
 出たり、入ったり。
 これは職員の車じゃないな。
 PTAの会合でもあるのか。

 玄関前にテントがあり、そこに何か置かれている。
 部活に愛鳥部というのがあって、生徒たちが巣箱を作ってそれを地域の人たちに無料配布しているのだ。
 「ご自由にどうぞ」というやつ。

 地元の人たちが次々にやって来て、巣箱をもらって行く。
 こういうのが120余年の歴史の中で築かれた地域とのつながりというものなんだろう。
 そういえば、先週行った羊山公園にも森林科学部の生徒が作った木製ベンチがあった。
 地域密着型。地域に愛される学校が単なるスローガンに終わっていない学校だと感じた。

◆大人の字が書ける
 専門高校に行くといつも感心させられることがある。
 一つは言葉遣い。
 もう一つは文字。

 かれら、特に上級生は、大人の言葉が使え、大人の文字が書ける。
 もちろん個人差はあるわけだが、視線の先にあるのが大学であるか企業であるかの違いではないか。
 実習やイベントなどで大人と接する機会が多いこともあるだろう。

 塾や中学校の先生方、あるいは保護者の方にも、こういう姿をぜひ見てもらいたいと思う。

 なんだが、広報活動がどこもいまひとつなんだな。
 そこが残念なところだ。