春日部高校の教育関係者対象説明会(塾説)に行ってきた。
昨日の和光国際との対比が面白かったので、そのあたりも含めて報告しよう。
◆駅から徒歩1分を再度検証
東武アーバンパークライン(早い話が野田線)の「八木崎駅」から徒歩1分と公表しているが実際のところどうなのか。
何度も行っている学校だが、スマホで動画を撮りながら改めて検証してみた。
結果。
やはり駅改札から校門まで徒歩1分に偽りはない。
写真は八木崎駅ホームから撮影。ここに改札口があれば秒で行けるのに。
◆無人受付
昨日の和光国際では校門で教頭先生(女性)が出迎えていた。
こちらは誰もでていない。
だが、校門お出迎えは、公立の場合、無い学校の方が多いので、ここはそれでいい。
受験生・保護者対象なら別だが、今日は塾説だ。
校舎に入る。
ここにも人はいない。
事務室横に、小さな案内図があり、大会議室に向かうよう書いてあった。
すぐ目の前なので迷うことはない。
なお、一足制なので上履きに履き替える必要なし。
大会議室前。
ここに受付があって、名刺を出して資料をもらうんだろう。
そう思っていたが、ここにも人がいない。
長机があって、そこに今日の出席者名簿があり、自分でマーカーで印を付ける。
出席者は約20人のようだ。
塾名・参加者名はいいとして、住所・電話番号・メールアドレスまで一覧できて個人情報ダダ洩れ。
資料は自分でピッアップ。
ただ、学校案内パンフレットだけは塾名・参加者名を貼った封筒に入っており、自分の分を探す。
ということで、ここまで学校関係者とは誰も会わず、すべて自分でやり、着席し開会を待つ。
いやあ、実に新鮮。
何十年、何十校と塾説に参加してきたが、こういうの初めて。
振り返ってみれば、公立教員時代の集合研修がこんな感じだったかな。古い話で記憶が曖昧だが。
◆お茶を持って行くべきだった
夏は水筒を持ち歩くようにしている。
でも今日は塾説があるし、ペットボトルのお茶が出るだろうからと置いてきた。
昨日の和光国際では出た。
だが、今日の春日部は無し。
別にお茶を飲みに行っているわけではなし、特に不満はないが、水筒を置いてきたことを悔やんだ。
◆入試関係ではやや踏み込んだ説明
最初に校長挨拶兼学校説明。
短い時間の中、教育目標や育てたい生徒像、特色ある取り組みなど、上手くまとまったプレゼンで、これは文句なし。
先ごろの共学化騒動を意識してか、男子校のメリットを強調していたのが印象的だ。
続いて教頭による入試説明。
前年度入試における合格者平均について、「8割から9割」とか「6割前後」とか大ざっぱではあるが、数字を出して説明していた。
もっとも大手塾などは塾生から得点開示の数字を集めているから、それほど驚きはなかったかもしれない。
昨日の和光国際ではここまでの言及はなかった。
◆意外と静かな授業風景
会議室での説明は50分ほどで終わり、教頭先生の案内で施設と授業見学。
最初に行ったのが、県立ではここだけの音楽ホール。
400席あるというから、学年集会などはここで出来る。
校舎全体は、他の県立高校のようなワンパターンではなく特注品。
県立は施設設備面で私立に劣るが、ここは負けていない。
1・2年生の授業を見て回った。
3年生も見たかったが、すでに受験モードに入っているということで公開は下級生のみ。
当然だがどの科目もレベルは高く、進度も早いのが分かる。
1学期に浦高の土曜授業を見に行ったが、それに比べると真面目、というか静かな印象だった。
体育の授業も見た。
400mのインターバル走らしきことをやっていた。
速い。
体つきもバランスが取れている。
上位校の特徴だ。
もちろん、中には遅い子もいる。
が、遅ければ遅いなりに全力で走る。
周りもそれを励ます。
これまた上位校の特徴。
◆昼休みが2回
食堂の利用ができるというので行ってみた。
カレー300円、かつカレー400円。
安い。
昨日の和光国際は500円以下のメニューはなかった。特製チキンカツカレーは730円だった。
両校に共通なのは、その場で調理して提供する本気の食堂である点だ。
業者が撤退し、お弁当やパンなどの販売中心になっている学校が多い中、よく頑張っている。
この学校、何と昼休みが2回ある。
3時間目が終わって第1昼休み、4時間目を受けて第2昼休み。
第1が30分、第2が20分なのだが、当然昼飯を2回食べる生徒もいる。
男子高校生はとにかく腹が減るのだ。
勉強も部活も手抜きをしない春高生なら尚更だろう。
以上、春日部高校の塾説レポート。
文化祭はすでに6月に終わっているので土曜公開授業を見てみたいと思った。
2024-09-09 at 10:00
1968年卒業生です。当時は駅前から真っ直ぐが校門でしたから3時に授業が終わり3時2分の電車に乗れました。山盛りのうどんとカレー、懐かしい〜
余談ですが八木崎から春日部へは本数が少なかったので線路の上を歩いて行ったものです。そんな長閑な時代でした