仕事柄、いろいろな学校のいろいろな先生と話をする。
そうじゃないとこの仕事、務まらない。
そんな中、思わず笑ってしまうような話を聞いたのでここで披露する。
学校も先生も特定できているが、そこは一生明らかにしない。
と言うか、どこの学校の誰かということにほとんど意味がないことは、先をお読みいただければ分かるだろう。
では、笑い話を。
某校某先生「うちの学校の先生に困った人がいるんですよ」
私「はて? どんな」
先生「説明会の際、個別相談に誘導し過ぎだと言うんですよ」
私「なぜでしょう」
先生「公立は確約できないからやる意味がないと・・・」
私「私立は確約のためにだけ個別相談していると思ってるんですね」
先生「昔、受験生の親だった時もありますが、必ずしもそれだけではないですね」
私「だと思います」
先生「あと、教員の負担が大き過ぎるとも言っていました」
私「なるほど。ホンネはそこですね」
先生「働き方改革に逆行するとも・・・」
私「そこで使う言葉じゃないんですけどね」
というわけで、公立高校あるあるの平和なお話。
しかし、いまだにいるんだ、こういう先生。
年齢は聞かなかったが、かなり年配の先生なのだろう。
そうだとしたらちょうどいい。
古めかしい自分の考えを押し付けるような年寄りはメンバーから外れてもらい、知識・経験は乏しいが共感性の高い若手にチェンジしよう。
先生の中には、生徒募集は教員の本務ではないと考える人がいる。
公立だけではなく私立にもいる。
私も半分くらい同感。
教員研修会などでも、授業が教育活動であり本務であるとすれば、生徒募集は「非教育的活動」であると言っている。
また、教育活動は必ずしも合理化になじまないが、「非教育的活動」は合理化を追求すべきである、とも。
予算が許せば生徒募集業務は外注してしまってもいいくらいだ。
現に資金的に余裕のある私立学校では、生徒募集業務のかなりの部分を授業を持たない(教諭ではない)専任職員で賄っている例もある。
だが、現実にはそこまでは無理なので授業や生徒指導・進路指導の傍ら、可能な範囲で生徒募集活動に勤しむことになる。
ごく少数だが、「教員は、入学してきた生徒を指導するのが仕事であって、募集活動など不要だ」と言い切る人もいる。
立派な考え方である。
ただし前半部分。
生徒募集というものを、ただ人数を揃えるためだけの活動だとすれば、成立し得る考え方だ(ただし公立)。
しかし受験生からすれば学校を選ぶというのは大げさに言えば人生の選択だ。
その際、ミスマッチが生じないように可能な限り情報提供するのも(高校の)先生の責任だろう。
まだ入って来ていない生徒であるが、間違いのない選択のための情報提供をできるのは(高校の)先生しかいない。
広義の生徒募集とはそういう性格を持つと考える。
これは公立だけでなく、公金が投じられ公教育としての性格も持つ私立も同様である。
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