校長先生の入学式式辞を読んでいる。
式辞など述べたことはないが面倒だし、大変なんだろう。
自分なりの個性も発揮したいところだが、この手のスピーチには型というものがある。それを崩してはいけない。
型通りだと面白みに欠けるのだが、型を優先するのが大人のたしなみというものである。
さて、そんな中。
式辞の中で多くの校長先生が述べておられるのが、「失敗を恐れずに挑戦してほしい」ということだ。
そのとおりだと思う。
自分が校長だったら、たぶん同じことを言いそうだ。いや、絶対に言うだろう。
だが。
挑戦は面倒だ。
挑戦は疲れる。
失敗したら他人から非難され馬鹿にされる。
失敗したら地位も財産もすべてを失う。
やっぱ、止めとくか。
と、思い続けて50年。
おかげで大した失敗もなくここまで来た。
ただ、その見返りということだろう、大した成功もなかった。
もうここまで来ると、自分に対しても他人に対しても「失敗を恐れるな」「挑戦せよ」などと言う気も起らない。
この言葉を生徒たちに向かって言えるのは、校長先生ご自身がまだ若く、自らも何事かに挑戦できる気力、体力が残っているからだろう。失敗もあるかもしれないが、何事かに挑戦できる地位、立場にあるからだろう。羨ましいと思う。
自分もせめてあと10歳若ければ、挑戦のお手本を見せてあげられるのに。「ザ・失敗」を目の前で見せてやれるのに。
その点、校長先生たちは50代か60代前半なので、自ら手本を示すことが可能だ。生徒たちは、先生だって失敗するんだからと、挑戦への勇気をもらうことだろう。
年寄りも挑戦しないわけではない。よく70歳からの挑戦とか80歳からの挑戦などと聞く。
だがあれは嘘。挑戦と言いながら実は過去の成功をなぞっているに過ぎないし、頑張れば達成できることをやっているだけだ。
もちろん、それをもって挑戦と言ってもいいわけだが、校長先生が式辞や講話の中で述べている挑戦とは、そんな「やわ」なものではないだろう。
この年になって分かった。挑戦とは気力も体力も十分残っている若い世代の特権なのだ。
生徒だけでなく、校長先生や先生方も、失敗を恐れずに大いに挑戦していただこう。
ただ、本当に失敗すると先生という職を失う可能性もある。挑戦の難しさはここだ。
失敗しても地位や職を失わないすれすれの線を狙うことが大事だ。
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