長くブログをやっていると、時々糞コメントを寄せてくる輩がいる。そういうのは基本的に削除しているから、皆さんの目には触れることはないのだが、ホント馬鹿馬鹿しい。というか、むしろ悲しくなる。

 老害とか言ってくるヤツがある。
 そうだよ、俺は年寄りだ。じゃあ聞くけど、お前は永遠に年とらねえのか。実名は勘弁してやるから、自分の年齢ぐらい言ってみな。あと、職業・経歴な。こっちは、名前出し顔出しでやってるんだからさ、フェアに行こうぜ。

 イミフ(意味不明)もある。
 そりゃ、テメエの読解力の無さなんだよ。教養の差だ。うちの読者は、行間を読み取る力を持った人だからさ、それを見越して書いてるんだよ。どんな書き方したって、真意を読み取れる人っていうのが前提で書いてるから、そりゃ一部のおバカさんにとっては意味不明だろうさ。

 さて。
 読者の多くは、人の教育に関わる方々であろう。人を育てている方々であろう。
 そこで、世の中に一定数このようなおバカさんというか、物陰から石つぶてを投げつけるような卑怯者、ひねくれ者が出現してしまうのは止むを得ないことと承知しつつ、しかし一人でもその数を減らしたい。たぶん、そのようにお思いであろう。

 糞コメントを寄せたり、バッドボタンを押しまくる連中は、実はそれほどおバカではない。少なくとも活字媒体に接しているわけだし、日本語で表現出来ている。中には単語ないしは単文レベルの人もいるが、重文・複文が書け、接続詞が使えるレベル以上の人も多い。だが、文章がしっかり構成できていればいるほど、病んだ心が浮き彫りになってしまうのである。不憫である。

 かれらに不足しているのは何か。
 おそらく自己肯定感だろうというのが、目下の私の結論である。

 いきがっているが、心底自分を受け入れることが出来ていない。だから、当然のこと他人を受け入れることなどできない。だから、すべて否定から入る。すべてネガティブに見る。
 これじゃ、一生幸せはやって来ないぞ。

 私たちは(この場合、読者諸氏も勝手に含めさせてもらう)、子供たちの自己肯定感を育てなければならない。
 私も経験者だから気持ちは分かるし、現にそうしてきてしまったという反省があるわけだが、先生たちはどうしてもハードルを上げ過ぎてしまう。「まだまだ」「もっともっと」「そんなんじゃダメだ」と。
 また、これも愛と職業的使命感から来るものだが、弱点・欠点を直してやろうとそこにばかりフォーカスし、長所を認めてやることが疎かになったりもする。

 匙加減はなかなか難しいところであるが、自己肯定感の欠落した人間を作ってしまうと、本人が不幸になるばかりでなく、社会的にも大きな損失を招いてしまう。