塾の先生方、総合学科って生徒に勧めにくくないか。
 私はそう思うのだが、塾の先生方はどうだろう。

 総合学科は、普通科でもない、専門学科でもない、「第3の学科」という触れ込みで1990年代(平成の初期)にスタートしたものである。
 しかし、当初はともかく、最近はあまり人気が芳しくない。

 先ごろ埼玉県教委から発表された第2回進路希望状況調査の結果を見てみよう。
 志願者数と倍率は次のとおりである(カッコ内は募集人員)

 小鹿野(119人)  32人 0.27倍
 川越総合(238人)367人 1.54倍
 久喜北陽(318人)279人 0.88倍
 幸手桜(198人) 115人 0.58倍
 進修館(198人) 152人 0.77倍
 誠和福祉(79人) 30人 0.38倍
 滑川総合(278)282人 1.01倍
 吉川美南(119人) 79人 0.66倍
 寄居城北(198人)161人 0.81倍

◆9校中7校が定員割れ
 第2回調査時点で定員を超えているのは川越総合と滑川総合の2校だけである。
 総合学科全体では総募集人員1745人に対し希望者1497人で倍率は0.86倍。

 昨年(令和6年度入試)は、最終的に川越総合、久喜北陽、滑川総合、吉川美南が定員を超えた。
 小鹿野は75人、幸手桜は15人、進修館は5人、誠和福祉は33人、寄居城北は4人の欠員募集を実施した。
 今年(令和7年度)も定員越えが確実なのは川越総合のみで、滑川総合と久喜北陽がぎりぎりといった状態だ。

◆川越総合は異次元の戦い
 募集面で異次元の戦いを進めているのが川越総合だ。
 総合学科としてのスタートは平成8年(1996年)で、平成7年(1995年)スタートの久喜北陽に次ぐ。
 前身は伝統ある川越農業高校である。
 何度か訪問しているが、立派な温室が何棟もあり、鶏舎あり、食品製造実習室あり、校外には農場ありと、どう見ても農業高校である。
 系列も「農業科学系列」「食品科学系列」「生物活用系列」「生活デザイン系列」と系列を「科」と置き換えれば、そのまま農業高校。
 北部には秩父農工科学・熊谷農業、東部には杉戸農業、南部にはいずみなど農業科専門高校があるが西部にはない。この地域の農業系希望者を一手に引き受けているのが川越総合である。
 農業高校に匹敵する施設設備と指導陣。
 駅からもそこそこ近い「都市型農業高校」といった趣で、これは分かりやすく、勧めやすい。

◆商業なら幸手桜だが
 前身の一つが商業高校なのが幸手桜である。
 平成25年(2013年)、幸手商業と普通科の幸手高校との統合という形でスタートした。
 校地も幸手商業を引き継いでいるので商業高校らしさはそのまま残している。
 系列も「総合進学」「教養基礎」「情報マネジメント」「総合ビジネス」であるから、今も商業高校に近い。
 東部地区には商業高校はない。商業系学科を擁する学校として越谷総合技術・羽生実業・八潮南があるが、地域的に競合しないので、その意味では独占的地位を確立できそうだが、残念ながら商業科そのものの人気が低下している。
 商業を中心に学びたい生徒には勧めやすい学校ではある。

◆進学を前面に出した総合学科高校
 川越総合と幸手桜は前身校時代のリソース(設備や指導者)をそのまま活かした専門学科に限りなく近い総合学科である。
 
 久喜北陽は、昭和62年(1987年)に「普通科+情報処理科」の学校としてスタートした。
 同年、「普通科+外国語科+情報処理科」の和光国際がスタートしている。当時の流行りだったのだろう。
 平成7年(1995年)に学科転換により埼玉県で初の総合学科校となった。
 元が普通科校であるから専門学科の色合いはほとんどない。「人文社会国際系列」は文系コース、「理数科学系列」は理系コースであり大学進学を念頭においている。強いて言えば「情報ビジネス系列」が専門学科に近い。
 久喜市内には久喜・久喜工業・栗橋北彩があるが、普通科男女共学の進学校がない。総合学科でありながら、普通科に代わるポジションの学校として一定の人気を集めている。校名に総合がつかないのも好都合だ。
 「実質普通科」という意味で分かりやすく、勧めやすい学校だ。

 滑川総合も前身は普通科の滑川高校だ。平成17年(2005年)、形式的には吉見高校との統合という形で総合学科校となった。
 ここも専門教育のリソースはないので基本的には普通科教育中心はそれまでと変わらずだが、それでは具合が悪いので「進学型総合学科校」と称している。
 滑川町は、「人口戦略会議」(民間組織)の報告で、2050年時点で若年女性の人口減少率が20%未満にとどまると予測される「自立持続可能性自治体」と判定され、注目を浴びた。子育て世代の増加が目立つ地域に立地しており、他の地域に比べ将来は明るい。
 
◆中途半端から抜け出せるか
 当初から言われていたように、総合学科は中途半端なのだ。
 出だしから「普通科でもない、専門学科でもない」と言ってしまうものだから、これで分からなくなる。

 スタートから30年経って、結局理念とは裏腹に普通科か専門学科かどちらかに振り切った学校が生き残ろうとしている。
 先ごろ埼玉県教委が発表した「魅力ある県立学校づくりの方針(案)」の中に、「農業、工業、商業など特色ある学びができる教科の充実した総合学科の設置を検討します」とある。
 まあ、そういうことだ。
 核となるリソースを活用した上で発展的な学びができる学校じゃなければ誰も振り向かんよ。
 小鹿野、寄居城北は学校の中身はともかく地理的条件から厳しい局面にある。
 吉川美南は成長が期待される武蔵野沿線だが、学校全体のシステムが複雑すぎて中学校の先生も塾の先生も説明しきれない。
 誠和福祉は福祉というもののイメージに足を引っ張られている。
 進修館は前身校(3校)の要素を平等に取り入れるようとしたのか系列の方向性がバラバラで説明しづらい学校となっている。工業系学科との併設なのだから、思いきりそちらの方向に振り切ってしまった方が分かりやすいだろう。

 
 施設設備、指導陣(先生方)はもとより、積み上げてきた学校としての経験や知恵、そして信用、さらには地域との関係。
 これらリソース、すなわち経営資源をどう活用するか。この視点を欠いた総合学科は市場から淘汰されるだろう。