新しい言葉を使うと何となく斬新な印象を与えやすい。
 逆に内容的に新しくてもそれを表す言葉に手あかがついていると新規性が乏しい印象となる。
 新しさを出したかったら、それがたとえ古臭いものであったとしても、新しい表現、新しい言葉を使え。

 新約聖書にもあったでしょう。
 「Neither do men put new wine in old bottles」(新しい酒は新しい革袋に盛れ)
 たぶん意味合いは違うと思うけど。

 要は、言葉で「オヤッ?」と思わせることも大事ということだ。

◆45分授業はスリークォーター授業でどうだ
 たとえば、「45分授業」。
 50分授業から5分ずつ削って行くと、一日7時間授業がやりやすくなる。
 だが、授業時数が増えるのはいいけど、一単位時間が減ることによって内容が薄くならないか。
 という声も出てきそうだ。
 そこで、「45分授業」を「スリークォーター授業」とか何とか言い換えてみる。
 英語的には違っていると思うが、45分は1時間の4分の3だから、何となくそれっぽい。
 そうすると言葉の新しさに引かれて、短くなることを忘れる。

 そうそう、クオーターで思い出した。
 一時期「二期制」「二学期制」というのが流行った。
 (いまも続けている学校もある)
 これからやるなら「四学期制」だろう。
 (すでにやっている学校もある)

 「二学期制」は「前期」と「後期」に分かれるが、「前期」と「後期」をさらに上期と下期に分ければ「四学期」となる。
 そして、それぞれを第1クオーター、第2クオーター、第3クオーター、第4クオーターと分けてみる。
 これで新しいタイプの「二学期制」の出来上がり。

 大事なのは中身、内容でしょう。
 ごもっとも。
 しかし、お菓子や化粧品でも、何なら書籍でも、ネーミングで売れ行きが違ったりするわけだよ。
 パッケージをかえるだけでバカ売れしたりもする。
 まあ、あまり斬新過ぎて意味が分からないのも考えもので、下手したら「ジコマン」(自己満足)と言われ、悲しい結末が待っている。
 しかし、それにしても学校はもう少しそのあたりを考えたほうがいい。
 「伝える力」の訓練が必要だ。

◆データ駆動型教育とは何だ
 で、今日はここまでで終わってもいいが、最近ちょっと気になる言葉がある。
 「データ駆動型教育」というやつだ。
 車で四輪駆動は「four-wheel drive」だから、「データ駆動型教育」は「データドライブ型教育」となる。
 勝手に略せば「DD型教育」

 この「データ駆動型教育」というのは、たとえば先般発表された教育再生実行会議の提言にも出てくる。
 「ニューノーマルにおける新たな学びに向けて~データ駆動型の教育への転換」
 「データ駆動型の教育への転換による学びの変革の推進」
 「データ駆動型の教育への転換~データによる政策立案とそのための基盤整備」
 以上は、提言の目次から拾ったものだが、とにかくこれからはデータ駆動型教育に転換しなければならないのだと繰り返し述べている。

 GIGAスクール構想の次はデータ駆動型教育ということか。
 元はここにある。
 「ポストコロナ期における 新たな学びの在り方について (第十二次提言)」

 一応ざっと目を通したが、GIGAスクール構想により一人一台端末や、Wi-Fi・プロジェクターなど周辺環境整備は終わったから、次はデータの蓄積と利活用(利用と活用)ですね、ということらしい。
 ならば「データの蓄積と利活用」でも良さそうなものだが、それでは新しさが感じられないから、新手の言葉を繰り出してきたというところか。

 今のところ知名度はそれほどでもないので、使うなら今のうちだ。