はい、どうやらそういう時代になったみたいですよ。
 私らは大人になったら、社会人になったら、「僕」はやめて「私」と言いなさいと教えられ、そうしてきたのだが、最近テレビなど見ていると大の大人が普通に「僕」と言っている。中には「自分は」などと言っている人もいるが、その話はまた別にしよう。

 赤ちゃん言葉や幼児言葉があり、子供言葉や若者言葉があり、大人言葉がある。
 言葉の変化は成長とともにあり、一人称も年齢とともに変化する。そう思うのだが、大人になっても「僕」を使い続けている人は、いったいどう考えているのか。

 無自覚という可能性。
 周囲に注意してくれる人がいなかった。「僕」が浮いてしまうような業界や組織に属していたため気づかなかった。それで直すきっかけがないまま年をとってしまった。
 言葉に限らず、子供のころからの習慣を無自覚に続けるというのは、大いにありうることだ。

若さをアピールしている(つもり)の可能性。
 変に若者言葉を使う大人は、本当の若者から見ればみっともない存在であるのは今も昔も変わらないはずだが、そこを勘違いしていつまでも「僕」を使い続けている。
「私は、メッチャ面白いと思うよ」では、どこかバランスが悪いが、「僕は、メッチャ面白いと思うよ」ならしっくりくる。「僕」は「若者言葉」の必需品。

 特権意識の発露である可能性。
 自分は世間一般とは違うという意識が「僕」を使わせている。「僕」から「私」への変化は世間の常識だが、自分はそういうことにしばられない自由な人間であることを示そうとしている。たしかに大企業やお役所で「僕」を耳にすることはない。

「僕」派の人々には一度、「ぼく、年はいくつ?」、「ぼく、おうちはどこ?」、「ぼく、お仕事は?」と聞いてみたいものだが、たぶん張り倒されるだろうからやめておこう。

 言葉は生き物と言われる。
 私の周辺のリアルな世界では、今のところ「僕」派はほとんどいないのだが、テレビやYouTubeに出ている有名人が、揃って「僕」と言うようになれば、子供は「僕で」大人は「私」という常識も、いずれ過去のものとなるだろう。
 と、「僕」は考える。