「歯痛」は「しつう」なのか「はいた」なのか。
 どっちでもいいが、人生初の歯痛と闘っている。
 昨晩は痛みで一睡もできなかった。
 というのはいささか大げさだが、熟睡できる瞬間はなかった。

 腰痛は慣れっこだ。
 何しろ、腰痛とは半世紀にわたる付き合いだ。
 だから痛む部位と痛み方により対処の仕方が分かるのだ。

 しかし、歯痛は初めてだ。
 どうしていいか分からない。
 とりあえず保冷剤を取り出し、タオルで巻いて顔に当ててみる。
 氷を口に含み、ダイレクトに冷やすのはどうか。
 と、いろいろやってみるが、どれも大した効果はない。

 結局、もっとも効果を発揮したのは、腰痛でお世話になっているいつものロキソニン様だ。
 以前、医者から処方されたロキソニン60mgが残っていたのを思い出し、これを服用したところ、急速に痛みが和らいだ。
 ロキソニンが残っているということは、相棒のムコスタも同量残っていたので、胃腸保護のために飲んでおいた。
 原因が取り除かれたわけではないが、これにより激痛からはいったん解放された。

 激痛は去ったが、噛むという作業が思うようにできない。
 噛めなければ流し込むほかはない。
 ということで、果汁、スープ、ヨーグルトなど流動食主体の食事となる。
 10年後にはこれが日常になるだろう。
 そのための予行演習だ。

 よく「人の痛みが分からない人」などと言うが、私はその典型だ。
 そのことは自信をもって言える。

 胃痛や歯痛に襲われたのも70歳を過ぎてからだ。
 だから、あそこが痛いここが痛い、調子が悪い気分が優れないと言う人間に対し、極めて冷淡だった。
 しかしこうして夜も寝られないほどの痛みを経験してみれば、それがどれだけ辛いことであるかが分かる。
 僅かだが進歩である。

 だが、世の中には自らは体験していなくても、人の痛みを分かり優しく寄り添える人もいる。
 本当の意味で「人の痛みが分かる人」とは、そのような人を言う。
 私などから見れば聖人だ。

 「分かる分かる、私もそうだったから」
 こういうのは結局のところ「自分語り」をしているだけであって、実は他人のことなど考えていない。
 人の痛みを分かる優しい人を演じているだけ、のことが多い。

 感受性に乏しいのか、想像力に欠けているのか。
 どちらにせよ、他人の立場に立ってものを考えることができないのが自分の弱点だ。
 まだまだ修行が足らんな。

 いかん。
 ロキソニン様の効果が薄れてきた。
 今日はここまでだ。