皆さんご存知と思うが、私は市民ランナーである。
年を取り、傍目にはウオーキングと見えるかもしれないが、本人しっかり走っている。
そして、とりあえずゴールまでたどり着くことはできる。
それにしても、フルマラソンであれば37キロ過ぎ、ハーフマラソンであれば18キロ過ぎあたりからは、本当に地獄だ。
1キロ、いや500メートルって、こんなにも長かったかと感じるのは、極限に達した疲労で距離感覚が失われてしまったからだろう。
「出るんじゃなかった」、「いやそうじゃない。明日から真面目に練習しよう」と、後悔と反省が脳内を駆け巡る。
それでも沿道の声援に支えられて、ようやく競技場に戻って来て、さあラストスパート。
って、そんな芸当できるわけないだろう。
気力も体力も、もう一滴も残ってないよ。
と、そんな時。
主催者から突然のアナウンス。
「お疲れのところ恐縮ですが、諸般の事情により本日のゴールはあと10キロ先に変更になりました。もうひと踏ん張りしてください」
おいおい、そんな話聞いてねえぞ。
何で急に距離が延びるんだ。
勝手にゴール動かすんじゃないよ。
目の前だと思うから、最後の力振り絞ったんじゃないか。
一体、この先、どうやって走ればいいんだよ。
なんて話はあるわけがない。
が、マラソン大会では起こらなくても、実際の人生で起こっているのだ。
人生百年時代。
20年学んで、40年働いて、20年のんびりで80歳がゴール。
人生って、そんなもんだろう。
ちょっと前まで私だけじゃなく、みんなそう思っていた。
ところが、ゴールはもっと先だと…
ルールが変ったと…
20代、30代の若いもんだったらいい。
余力も十分残っていることだし、今からペース配分変えればいいだけの話だ。
だが、われわれ高齢者はそうはいかんぞ。
ついこの間まで、もうあと僅か、さてどんなスタイルでフィニッシュラインを超えようかとそればかり考えていたのだ。
なのに今になって急に、そこはゴールじゃありませんと言われてもね。
というわけで、80歳が超えねばならぬ大きな障壁になったのが今の時代だ。
10代をどう生きるか。
20代をどう生きるか。
これらは解きやすい設問だ。
経験をもって語れる者はいくらでもいる。
30代から60代もしかり。
ところが、80代をどう生きるかについては、経験者が少ない。
まあ、人類史上初めての事態であるから仕方あるまい。
つい最近、こんな本を読んだ。
「80歳の壁」(和田秀樹著)
新書版なので値段も1000円程度。
サクサク読める。
「食べたいものを食べていい」
「健康診断は受けなくていい」
「運転免許は返納しなくていい」
と、年寄りが喜びそうなことが書いてある。
著者は東大医学部卒の医者であるから、いい加減なことは書いていないと思う。
一つ気になるとしたら、著者が1960年生まれと若い?ことだ。
今年72歳になる予定の私は、遠くに80歳の壁が見えて来た。
さて、どうやって超えたものかと思案しているところに、10歳近くも年下の若造がやって来て、「こうやって超えればいいんですよ」と言われてもね。
だってお前、まだ70歳の壁も超えてないじゃないか。
80代をどう生きるか。
90代をどう生きるか。
経験者は今後どんどん増えるだろう。
われわれ高齢者はトップランナーである。
さまざまな挑戦をし、その成功と失敗を後に続く世代に伝えてやらなければならない。
「80歳の壁」に書かれていることの中には、いま現在、自分自身が実践していることが多かった。
はたしてそれが正解なのかどうか。
答え合わせは20年後だ。
運よく生きていたら、皆さんに報告するつもりだ。
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