教員時代の教え子がすでに還暦を迎えようとしている。小学校だと先生と生徒(児童)の間に10年以上の年の差があるわけだが、高校だと新任教員の場合、一番近い高3とは大学4年分の開きしかないので、年をとってくるとどっちが年上か分からないような状態になったりするのである。

 そんな卒業生たちと時たま会うと、彼らの中に「俺は(私は)、高校のときから歴史だけは得意だった」などと言いだす者が現れるのである。
 「えっ、そうだったかな?」と、こちらとしては身に覚えがないのであるが、聞けば成績は5だったという。

 なるほど、そういうことか。
 成績の付け方、甘かったからな。
 高校は昔から絶対評価なので、各評定の割合が決まっていなかった。何人に5を付けようが1を付けようが、担当者の自由だ。当時は45人学級が普通だったが、5は10人くらい、4は15人くらいかな。ここまでで25人。すでに半数以上。残り20人は3で、よほど悪いと数人に2がつく。1(赤点)を付けたのは10数年で1回あったかなという程度。

 当時、AO入試なんてものはなかったが、推薦入試はあった。だが、別にそれを意識したわけではない。成績で脅しをかけるのは潔くないな。そんな気持ちだったと思う。「赤点付けるぞみたいな脅しをかけなくたって、他で十分威嚇していたわけだし。

 で、この大甘の4や5をもらった連中が、その後どうなったかというと、「社会人になってからも、歴史の本はよく読んだし、今でも好きです」となったわけである。
 錯覚おそるべし。

 こちらとしては、別に何十年後を見越して5を付けてやったわけではないが、あの頃の「得意だ」「好きだ」の思い込みが、いつしか本物になったのである。全員がそうなったわけではないが、そういう者も確かに現れたのだ。
 もちろん、本物にしたのは本人のその後の努力や心がけである。私が関わったのは18歳までで、後のことは知らん。

 迷ったらワンランク上。つまり、3かな4かなと迷ったら4、4かな5かなと迷ったら5という具合に良い方を付けるようにしてきたのは、繰り返すが何十年先を予測したからではない。ただ、1学期にちょっと無理して5を付けると、2学期はそれをキープしようと頑張って、今度は文句なしの5が付けられケースが多かったので、迷ったらワンランク上を自分の中の原則にした。

 良い成績を付けた方がその後の頑張りのエネルギーになりやすい。
 が、それにしても、大人になってからもそのエネルギーが継続し、いつしか思い込みや錯覚が本物になってしまうなど、20代30代の私には想像すらできなかった。

 で、これを読んで、よし自分もそうしようと思った人。
 一つ注意しなきゃいけないのは、観察だよ。ただ大甘にすればいいってもんじゃない。努力の過程をちゃんと見てからにしないと、逆の思い込みや錯覚を抱かせてしまう危険性もある。