沸点が低い。と言ってもヘリウムの話じゃない。沸点が低い人のことだ。皆さんの周りにもいるでしょう。すぐにカッとなっちゃう人。

 大人同士の関係だったら、そういう人とは関りを持たないとか、職場の同僚や上司などで関わらないわけにはいかないという場合は、可能な限り距離を置くとか、解決策はいろいろ考えられる。
 要するに、そういう人なんだと諦めればいいわけだ。スタートは諦め。そこからそれなりの人間関係を築いて行けばいい。

 先生が大変なのは、沸点が低い生徒と正面から向き合わなければならないことだ。関わらないとか、距離を置くとかいう選択肢はない。それどころか、沸点を上げてやることが求められる。
 沸点が低い生徒だけじゃない。乱暴な生徒とも、ある種の常識が欠けた生徒とも、極端な価値観に染まった生徒とも、みんな関わらなければいけない。そして、そのまま大人になっては本人も社会も困るだろうから、正してやらなければならない。

 こういうのを進路指導や学習指導に対して生徒指導というわけだが、この生徒指導っていうやつが先生の仕事のかなりの部分を占めているということを、もう少し世間が理解してくれたらな、と思うね。

 話を沸点が低い人に戻すが、喜怒哀楽というくらいだから、怒りの感情だってなくちゃいけない。たとえば、その怒りが世の中の不正に向けられるというのは悪いことじゃない。怒りのエネルギーが世のため人のためになることもあるのだ。

 困るのは、怒りが身近な人に向けられ、その沸点が異常に低い場合だ。そして、最悪なのはその怒りが暴力に転ずる場合だ。

 沸点が異常に低いのは生育歴が関係している。早い話、親がそういう子に育てっちゃったわけで、それを先生に治してくれと言われても困るのだが、それを言うと世の中が黙っちゃいない。その点における世の中の怒りの沸点はかなり低いのである。

 さあ、あなたならどうする。いや、その前に私ならどうするということだが、私だったら、沸点はさしあたりそのままにしておく。異常値でなければ大丈夫だ。血圧や血糖値と同じだ。って、それは違うか?

 何事にも温度差というものがあるわけだから、無理に上げ下げしようとしない。怒りの矛先を変えてやる。たとえば正義感という方向にね。
 沸点が低いヘリウムだからこその使い道があるじゃないか。そう考えないと、ガキどもの相手なんかしてらんないよ。