日曜日にやった講演会(埼玉新聞教育セミナー)の記事が埼玉新聞に掲載されていた。こうした緊急性のない話題は、いつ掲載されるか分からない。他の記事との関係で1週間以上経ってからというケースもある。
 
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 今回は、埼玉新聞という冠が付いているが、実質的な主催者は塾である。
 塾長の意図は、日ごろの自身の指導の正しさを第三者として保証してもらいたいというところではなかろうか。
 生徒への指導は、毎日教えている先生によるものが一番正しいに決まっている。そりゃそうでしょう。傍から見たら、「それって、どうなんだろう」と疑問に思うことでも、生徒の性格や学力や家庭環境や、いろんなことを知り尽くした上でやってるんだから、生徒の日常を知らない第三者がああだこうだ言うべきではない。

 じゃあ、何でわざわざ他人を呼ぶの?ってことだが、塾長としては、「ほらね。いつも先生(塾長)が言ってる通りだろう」という風に持って行きたいわけですよ。
 そこに尽きる。と、私は思っている。
 今回も私の講演のあと、塾長の講義があったわけだが、私の話が、後で塾長が話そうと思っていたのと全く違うものだったら、塾長はさぞ困っただろう。

 日頃の塾長の話と矛盾がないように。さらに言えば、生徒や保護者の皆さんが、「やっぱり先生(塾長)の言ってることに間違いないんだ」と思ってもらえるように。
 これが本当の忖度。

 たとえば私が、誰もが知る著名人であったら、そのような忖度は不要だ。好き勝手に喋ればいい。そういう著名人を呼べる塾(塾長)という時点で、目的は半ば達成されているからだ。
 だが、生憎私にはそこまでの知名度も実績もなく、よくよく説明されれば、それなりに分かってもらえる程度なので、やはり忖度が重要なのである。
 中学校に呼ばれれば「先生の言うことは聞いた方がいいよ。学校の授業が大事だよ」と言い、塾に呼ばれれば「塾の先生を頼りなさい。先生は何でも知ってるよ」と言う。

 まったく定見というものがないやつだ。
 そう言われるかもしれないが、あるよ。
 いつも言ってるだろう。私の仕事は先生を応援することだ。