記事体広告というジャンルがあるのだが、読者の皆さんはご存知か。読んで字のごとく記事の体(てい)をした広告だ。記事広告とも言われる。また、業界的にはペイドパブリシティ(paid publicity・略してペイドパブ)とか編集タイアップと呼ぶ場合もある。

 あくまでも料金を頂戴しての広告なのであるが、体裁や内容が記事っぽくなっているので、一般に純広告より読まれやすく広告効果が高いと言われている。媒体発行元が著名な新聞社や出版社であればなおさらだ。
 ただし、広告なのに記事のふりをするのは、ある意味読者を欺くことである。そこで、どこかに「広告」とか「PR]とか記するのが暗黙のお約束だが、別に法律や罰則があるわけではないので、何の記載もない場合もあり読み手としては注意が必要だ。

 私は仕事として記事体広告を書くことがある。
 まず普通に取材する。インタビューする。その上で広告主(業界的にはクライアント)である学校側の意向に沿った記事を書く。しかし、広告バレバレでは逆効果になるので読者を意識した客観性も持たせなければならない。このあたりの匙加減がなかなか難しい。
 原稿にはクライアントのチェックが入る。広告なのだから当然だ。
 企業相手だと真っ赤になって(赤字修正だらけになって)戻ってきて、ほぼ書き直しということもあるが、学校はそのあたり上品というか紳士的で、事実関係の誤りや「てにをは」の修正にとどまることが多い。私としてはとても助かる。

 ライターには大きく2種類ある。一つはデパート型で、注文があれば何でも書く。知り合いのライターにも昨日は経済記事、今日は温泉旅行記、明日はグルメ記事と何でも来いの人がいる。もう一つは専門店型で、書けるジャンルが決まっている。
 私は後者だ。

 記事体広告より圧倒的に多いのが、純然たる記事の取材・執筆だ。
 この場合、学校のチェックはない。中には事前に原稿を見せて欲しいと言う学校もあるが、それでは広告と変わらなくなってしまう。それに、取材をするだけして原稿は締め切り間際に集中して書くことが多いので時間的にもそんなことは無理だ。

 とは言いつつ、取材対象である学校に不利なことはまず書かない。批判・中傷で食っている媒体もあり、それはそれで存在意義はあるわけだが、私が書いている媒体はそういう性格ではないので、学校にとって不利益になることは書かない。
 難しいのは、学校側が書いて欲しくないことが、読者の立場からはそこが知りたいというような場合だ。
 たとえば学校側は進学実績を出来るだけ良く見せたい。しかし読者が知りたいのは修飾され加工された数字ではなく正味の数字だ。学校側の気持ちも分かるが、読者の要望も当然だと思う。
 片一方の足を学校側に、もう一方の足を読者側に置いて、事実を偽ることなく、両方に利益を与える記事を書く。これが記事体広告にはない純然たる記事の難しさだ。

 私が学校にお願いしているのは、事実はありのままに伝えて欲しいということだ。
 たとえ短期的には自らに不利と思われる情報であっても、中長期で考えれば誠実な学校というイメージを持たれた方が得策だ。今はさまざまな手段で情報を得ることが可能であるから嘘がバレやすい。もちろん公然と嘘をつく学校はないわけだが、何か隠しているなと思われること自体がすでにマイナスだ。

 取材では、よく「うちは進学実績が出ていないから」という声を聞く。
 そうだね、数字を見れば誰でも分かるよ。
 でも、戦い方はある。
 「金は腐るほどある。心配するな」とは言えないが、「今は貧しいけど、こんな目標を立てて、こんな努力をしているから、きっと豊かになれると思う」なら言えるだろう。
 過去の栄光がないなら、現在の努力と将来の夢を語るしかないじゃないか。

読売中高生新聞