栄光欲という言葉をごく最近知った。日光浴じゃないぞ。心理学の用語だ。
 言葉は知らなくても、その実態はみんな知っている。有名人の誰それと知り合いだと自慢する、あれだ。

 私は長く生きている割には知り合いが少ない方だと思っているが、そんな私でも、有名人知ってる自慢や俺は顔が広いんだ自慢をする人の顔が結構思い浮かぶ。
 たまたま自分がそういう世界に生きているだけなのか、それとも世の中全般の傾向なのか、そのあたりの判断は難しいが、教員時代はあまりお目にかかったことはないので企業社会の方がそういう人々の割合が高いのかもしれない。

 若いころは、会話の中に有名人の名が出てくると、この人はすごい人なんじゃないかと圧倒されてしまったが、それは自分の中に人間を測る物差しが出来上がっていなかったからだろう。だから、そんなに有名な政治家や社長を知っているこの人もさぞすごい人なんだろう思ってしまった。
 今は、長く生きてきたおかげで短いながらも物差しがあるので、その人が知り合いだと称する有名人とはっきり区別して、目の前のその人を冷静に判断できる。

 つい最近会った人は、2時間ほどの会食の中で10人を超える政治家や企業家や芸能人の名を挙げ、自身との関りを語った。
 どのレベルかは別だがその交友が事実だとして、じゃあ何でそんなすごい人が私などと飯を食っているのか。その一点だけで大した人間じゃないことを証明してしまっているではないか。
 若い連中は感心してくれるかもしれないが、年寄り相手に有名人知ってる自慢はほどほどにしたほうが身のためだ。語れば語るほど無能を晒す。劣等感バレバレで哀れに思えてくる。

 出身校自慢や出身地自慢も栄光欲の一種だそうだ。心理学を学んだことがないので確たる自信はないが、もしそうだとすれば、栄光欲は多かれ少なかれ誰にでもあるということだ。そこにあるのは自己肯定であるから、他人に不快感を与えない程度であれば許容されるだろう。
 
 こっちが知り合いだと思っていても、相手が同じ理解であるかどうかは分からない。相手が有名人であればなおさらだ。しかし、そういう有名人とお近づきになったり、会話を交わしたり、名刺交換したり、挨拶できたりするのは、特技ではあるかもしれない。自分にはできないことだ。
 その特技を生かすには、努力して知識や技術を磨くことだ。