さいたま市の公立小中学校は1日から始まった夏休みが終わり、今日始業式だった。よりによってこんな酷暑の中でと思うが、夏休み短縮は社会的要請でもあったわけだから仕方ない。

 小中学校の場合、例年でも9月に体育祭(運動会)を計画している学校が多い。
 市内のいくつかの小中学校のホームページを調べたが、コロナの影響で修正された行事計画の中にもあるところをみると実施されるのだろう。
 種目を減らし時間を短縮しても子供たちはそれなりに楽しめるものだ。屋外なのでコロナより熱中症が心配だ。
 無観客なのかどうかは分からない。

 私は高校教員だったので、小中学校の先生方とは行事に対する感覚が違うと思う。
 高校の先生が求めるのは生徒の自主性だ。企画・運営にどれだけ生徒を関わらせることができるかが行事の成否を判断する最大の基準だ。
 生徒がエンジンを吹かしハンドルを握る。先生の役割は生徒が進路を大きくはずさせないようにすることと、暴走しないように適度にブレーキをきかせることだ。これが理想の姿だ。
 
 しかしこれは、半分大人が混ざった高校生だから使える手法だろう。
 また、すでに小中学校でさまざまな経験をしてきた高校生だから可能な方法だ。
 中には一人前に先生に指図するような生徒もいてそんな時は口では何を生意気な、と言いつつも心の中では喜びが隠し切れない瞬間でもある。

 小中学校の児童生徒に対し、高校生に対するような自主性や高い企画力・運営力を求めることはできない。むろん、児童生徒が主役という基本線は同様であるから、子供たちの活躍の場面は多いのであるが、すべては先生たちのお膳立てあってのことだ。
 行事の負担は、おそらく高校の先生より中学校の先生、中学校の先生より小学校の先生という具合に対象が低年齢化するほど重くなってくるはずだ。

 学校行事は子供たちの隠れた側面を発見するチャンスであり、成長のきっかけでもある。だから先生方は教室にいる時以上に子供たちの一挙手一投足に目配りしている。決して自分の見栄や自己満足のために行事をやっているわけではあるまい。
 勉強では脇役の子も、行事では主役を張れるかもしれない。数々の場を作ってやることがかれらの生きる力を育てるのだ。

 私はそういう小中学校の先生方の懸命な努力のおかげで、楽々と高校教員をやらせてもらった。それまでの積み重ねがあったからこそ、やれ自主性だの協調性だの企画力・運営力だのと言ってこられたのだ。
 行事もまた子供たちの成長を促す重要な機会である。
 先生方の奮闘にエールを送っておこう。