埼玉県東部地区では、今日明日の2日間、文化祭を開催する学校がいくつかある。県立春日部、春日部共栄、花咲徳栄など。
◆無観客でも楽しめる
 むろんこのご時世であるからから、一般来場者を招かない、いわゆる無観客開催だ。
 上にあげた学校はそれぞれ人気校なので通常開催であれば数千人の来場が見込まれる。それと比べると、お客さんの来ない文化祭はいかにも寂しく感じる。

 が、そこは高校生だ。どんな状況でもそれなりに楽しみ方を発見するものだ。また、発見できなきゃいけない。
 所与の条件の中で、楽しみ方を発見しなさい。楽しみなさい。意味を見つけなさい。これが教育というものだ。
 
 何かにつけて、つまんねえ、くだらねえ、意味ねえという大人がいるが、若い時に、いかなる状況でも楽しみを発見できる態度や習慣を身につけられなかったのだろう。惜しいことをした。こういうのは大人になってからだと直せないのだ。
 お客が一人も来なくても楽しめる子たちであってほしい。

◆生徒募集面ではマイナスあるが 
 文化祭を生徒募集に関わるイベントととらえている先生もいるだろう。
 実際、文化祭に行き、その雰囲気を見て志望校を決めたという例は多いのだ。
 文化祭は特別な日で、毎日毎日そんな楽しいことばかりやっているわけではないが、いくつかの学校を比べてみれば、校風の違いは見えてくるものだ。
 
 文化祭の無観客開催は、生徒募集面から考えればマイナスだ。が、言うまでもなく文化祭本来の目的はそこではない。たまたま、生徒募集面でも有効というだけだ。学校の雰囲気を伝える手段、方法は他にもある。

◆学校行事の意味
 この話をし始めると簡単には終わらないので、できるだけ短く言う。
 先生的視点から見れば、やはり意味はある。修学旅行も文化祭も体育祭も全部意味がある。というか、意味を持たせるようにやっている。
 考えるとしたら、それぞれの行事に準備も含めどれくらいの時間を割り当てるか、行事と授業をどう関連付けるか、だろう。日常と非日常との切り替えも重要だ。

 授業で見る生徒と、行事や部活で見る生徒の姿は異なる。
 生徒を多面的に見るという点で、行事の果たす役割は大きい。
 主体性や協調性は授業を通じて伸ばすこともできるが、行事の方が効果的な場合もある。
 
 というわけで、文化祭には中止という選択肢はない。無観客だろうが千客万来だろうが、やること自体に意味があり、必ず成果は得られる。