今さらだが文武両道の話である。それにしても言葉が古い。文はいいとしても武とはなんだ。江戸時代か。
 これは主として高校で使われている用語である。
 大学が「わが校は文武両道」を謳い文句にしているという話は聞かない。

 似たような言葉に「文武不岐(ぶんぶふき)」があり、たとえば埼玉県立松山高校などがこれを掲げている。
 県立浦和高校は教育方針の一つとして「尚文昌武(しょうぶんしょうぶ)」を掲げている。
 第二代校長の造語だという。
 -「尚(しょう)文(ぶん)昌(しょう)武(ぶ)」は、浦高の教育の精神を象徴する言葉である。「文を尚(たっと)び、武を昌(さか)んにす」――換言すれば、「文武両道」の意味でもある。-同校HPより。
 

右から読む


 
 文武の武は部活のことを指しているというので「文部両道」と言っている学校もある(東京成徳大高校)。

◆文武分業、大いに結構
 学校全体として「文」で好成績を残し(大学進学など)、「武」でも好成績を残し(部活全国優勝など)、それで「わが校は文武両道」と言っている場合がある。
 「文」で活躍した生徒と、「武」で活躍した生徒は別人だから、こういうのは「文武分業」ではないかと批判する人がいる。「文武両道」は個人として達成すべきであると考えるわけだ。
 しかし私は「文武分業」は必ずしも否定しない。
 どっちか一つでも打ち込めるものがあり、なおかつ結果を残しているのであれば、それのどこに不満があるというのだ。

 あらゆる瞬間において両道を実現している必要はなく、人生全体で両道を実現するという方法もある。
 高校時代あるいは学生時代は「武」に明け暮れ、頂点に昇り詰める。
 そして大人(社会人)になってからは、その経験を生かし、今度は「文」で頂点を目指す。
 そういう生き方だってあるわけで、人生のすべての段階で両道を実現していなければならないというわけではない。
 その意味で「文武分業」大いに結構。
 中途半端な「文武両道」より、はるかにましと言うものだ。

◆これからは文理両道
 最近、関心を寄せているのは「文理両道」という言葉だ。
 そろそろ文系だ、理系だという区別はやめようぜ、という話。
 私は自分で考えたつもりでいたが、当然ながらすでに唱えている人はいる。私が知らなかっただけだ。

 小見出しに「これからは」と書いたが、半世紀以上前のわが高校生時代を振り返れば、文理の別なく数Ⅲまでやっていた(しかも高2までに)。
 だから、別に新しい考え方というわけではない。
 小学校の算数から混乱が始まり、中学でもそれを引きずり、辛うじて高校にたどり着いたという生徒には酷だが、いわゆる上位校で難関大学を目指す層には、「文理両道」を目指してもらいたい。
 たしかに、目の前の大学入試だけを考えれば、教科・科目を絞り込む方が合理的かもしれないが、人生は長い。若いうちにかじっておくと、どこかで役に立つ。

 文武両道ほどには使い古されていないので、文理両道は「売り」の一つにはなるだろう。