身内の死に直面し憔悴し切っている人に向かって、「今のお気持ちは?」。
 って、決まってんだろう。
 そういう質問をしてくるお前をぶっ殺してやりたい気分だ。

 娘を亡くした父・神田正輝、母・松田聖子へのマスコミの不躾な質問が話題になっている。
 質問した記者は、上司からの指示か、または特に何も考えず習慣的にそうしているのだろう。
 通常であれば、このような場合、「心中お察しします」で、それ以上は聞かない。
 しかし、それでは彼らも商売にならないから、残念とか、悔しいとか、そういった一言を引き出そうとする。
 
 世の中、そんな一言を今聞くべきではないだろう、また、聞きたくもないという人が大半だと思う。
 だが、それを聞きたい、喋らせたいという野次馬も一定数存在するのである。
 マスコミ側も、それが分かっているから、こんな場面でも「今のお気持ちは?」と聞くのだ。
 実際に質問したのは記者だが、それをさせているのは視聴者であり読者なのだ。

 ワイドショーなどで、「その質問はないだろう」と批判しているコメンテーターがいるようだが、あなたたちも同業だからね。
 ふだん、他人のプライバシーにずかずか入り込んで、視聴率稼ぎのお手伝いしてるじゃないか。
 いい子ぶるんじゃないよ。
 本当に腹が立つなら、抗議の意味で番組出るのやめればいい。
 さもなくば、ノーコメントを貫く。
 でも、それじゃあコメンテーターの意味がない。
 だったら、ここは空気を読んで、正義の人を演じるか。
 大方、そんなところだ。

 ところで、「心中お察しします」だが、何も不幸があった時だけの表現ではない。
 学校の先生などは、あまり言われたことがないと思うが、私は何度もあるよ。

 「心中お察し申し上げます」
 ここまでは同じ。
 が、その後に、「ところで」と続く。
 そして、後に続くのは「お忙しいところ恐縮ですが、ご入金のほどお願い申し上げます」。
 なんだよ、借金の督促かよ。
 心中お察ししてるんだったら、ちょっと待ってくれてもいいだろう。

 サッサと払いやがれ、さもないと法的手段に訴えるぞ。
 この方がいっそ爽快だ。
 って、そんなことはないが、やれるもんならやってみろという気分になれる。
 だが、こういう持って回った言い方は腹が立つ。
 要するに嫌味で言ってるわけだ。

 似た表現に「お気持ち分かります」というのがある。
 相手の気持ちに寄り添おうとしているんだろう。
 それ自体は有難いことだ。

 だが、自分よりはるか年下の者とか、まったく立場の違う者からこれを言われると、「お前に何が分かる」という気分になる。
 「お気持ち分かります」
 「お前の気持ち分かるよ」
 「分かるよ」
 そういうのは、こちらが分かって欲しいと思っている人の口から発せられるから意味がある。
 
 そういうわけなので、「分かるよ」「分かります」は、細心の注意を払って使ったほうがいい。
 一見優しそうにみえて、実はかなり破壊的な言葉なのだ。
 明るく楽しい話題のときはいいが、人が悩んだり苦しんだりしているときや、こみいった難しい話題のときは安易に「分かります」を連発しないことだ。

 「心中お察しします」から、やや横にずれた「お気持ち分かります」の話だった。