卒業式シーズンである。
 そして昨今は閉校式シーズンでもあり、今年も全国各地から「最後の卒業式」の話題が届いている。

 一昨日、所用あって久喜市立菖蒲南中学校を訪ねたが、この学校も3月で閉校となり、近隣の中学校に統合されるとのことだ。
 小中学校だけでなく高校の統廃合も今後はさらに加速するだろう。

 ふと思い立って、昔の記録を調べてみた。
 今から24年前、1998年の埼玉県公立高校の一覧である。
 およそ四半世紀前なので、若い先生方にとっては生まれ前の話かもしれない。

 これから挙げる高校名に覚えのある方は、それだけ古い人間ということになる。
 もちろん私も含めてだ。
 とりあえず、学校名としては存在しない例を挙げると次のとおりだ。

 上尾東
 上尾沼南
 入間
 大井
 大宮西
 川本
 騎西
 北川辺
 行田女子
 市立熊谷女子
 栗橋
 市立県陽
 幸手
 狭山
 菖蒲
 秩父東
 鶴ヶ島
 所沢東
 所沢緑ヶ丘
 戸田
 滑川
 新座北
 蓮田
 吹上
 福岡
 不動岡誠和
 本庄北
 毛呂山
 吉川
 吉見
 寄居

 市立川口総合
 川越商業
 行田進修館
 幸手商業
 玉川工業
 行田工業
 秩父農工
 与野農工

 ずいぶんあるものだ。
 ただ実際には、統廃合という形をとっているので、これだけの学校が全てなくなったわけではない。
 例えば、蓮田と菖蒲を統合して蓮田松韻、大井と福岡を統合してふじみ野といった形が多い。
 
 統合は、思うように生徒が集まらなくなった学校同士という場合が多いので、後継となった学校は今も募集で苦戦している。
 例外は元川越商業の市立川越と、川口総合・県陽・旧市立川口を統合した川口市立くらいだろう。
 いずれも市立高校というのが面白い。
 熊谷に市立女子校があったことなど多くの人は忘れているだろう。近年の熊谷・熊谷女子・熊谷西の低倍率を見れば、早晩消えゆく運命だったことが分かる。

 大宮西の跡地には、さいたま市立大宮国際中等教育学校ができた。
 跡地と言えば、本庄北の跡地は私立本庄第一中学校、北川辺の跡地は私立開智未来中学高校となっている。
 学校の跡地を学校が再利用するのは合理的なやり方だが、本庄北、北川辺は非常に交通の便が悪く、募集に長けた私立学校であっても、苦戦は免れないようだ。

 個人的に思い出深いのは、所沢緑が丘だ。
 縁あって私は、この学校の最後の卒業式に来賓として出席している。
 途中で辞めて行く生徒が多い学校だったが、最後まで残った生徒は学校が好きな子たちなので、なかなか感動的な式だったことを覚えている。
 今は、ここに芸術総合高校がある。

 新座北は、今は新座柳瀬となっているが、亡くなった竹内結子さんは新座北時代の卒業生だ。
 まあ、この手の話をし出すと切りがないが、私は誉田哲也の小説をよく読んでおり「ストロベリーナイトの姫川玲子役として、この人の映画やドラマはよくみていた。

 公立高校の統廃合は今後も続くが、前述のように「マイナス+マイナス」という例が多かった。
 今後もそうした例が続くと思われるが、「マイナス+マイナス」は、より大きなマイナスとなるのだ。
 だが、「マイナス×マイナス」であれば、プラスに転じる。

 卒業生や地元関係者への配慮から、伝統や校風を少しでも残さなければという気持ちは分かる。
 教員配置上の問題があることも分かる。

 今さらの話だが、「毛呂山+鶴ヶ島」は「鶴ヶ島清風」ではなく「清風高校」、「蓮田+菖蒲」は「蓮田松韻」ではなく「松韻高校」とでもしておけば、もう少し大胆な改革ができ、今とは違った展開となったかもしれない。
 名前だけでどうにかなるというものではないが、過去のマイナスを引きずらないためには、必要な考え方ではあると思う。