首都圏で発行している「よみうり進学メディア」のQ&Aコーナーを担当していて、毎回受験生からの質問に答えている。
 今回発行元から依頼を受けた質問の中に、こんなのがあった。
 「Q:高校選びで志望校を私立と公立で迷っています。塾の先生に、公立高校に行っても塾に行くことになるから、始めから指導の手あつい私立に行くのもありだと言われました。実際公立と私立どちらが良いのでしょうか。私立は親に迷惑をかけてしまうかもしれないと思っています」

 どう回答するか。
 ここでそれを書いても仕方ないので、後で考える。
 が、ここで取り上げるのは「塾の先生に、公立高校に行っても塾に行くことになるから、始めから指導の手あつい私立に行くのもありだと言われました」の部分だ。

 この塾の先生がすべてを代表しているわけではないが、そういう印象を持っている先生がいるのは事実だろう。

 私の考えを言っておく。
 生徒たちの進路実現を願う気持ちは、高校の先生に共通のものであって、そこに公立私立の違いはないと思う。
 公立の先生だって二者面談、三者面談はいくらでもやるし、朝補講、放課後補講、長期休業中補講もやる。生徒のモチベーションアップのためにさまざまな進路行事も行う。
 
 両者の大きな違いの一つは、「組織的」であるかどうかではないかと思う。
 例えば補講などでも、積極的にやってくれる教科(または先生)がある一方、どちらかと言うと消極的な教科(または先生)もある。公立高校の補講時間割(一覧表)で実施教科に偏りが見られる場合があるのは、そのためだろう。
 供給サイドの事情が優先される場合があるという言い方でもいいだろう。

 それに対し、私立の方は、より組織的な対応となる。先生個人よりも生徒のニーズが重視される。
 需要サイドの事情が優先されると言えるだろう。
 
 すべての公立がそうであるとは言えないが、大雑把な言い方をすれば、「個人で戦う公立」に対し、「組織で戦う私立」ということになるだろう。

 両者のもう一つの違いは「継続的」であるかどうかではないか。
 これは塾の先生方も経験上分かると思うが、「学年(代)」ごとの色というか、雰囲気というか、そういうものがある。それはそれであってもいいのだが、進路指導には継続性が求められる。

 成功にしても、失敗にしても、それらが次の代に資産として引き継がれるべきなのだ。
 が、公立は先生の異動が多いこともあり、そのバトンタッチがあまりうまく行かない。
 その点、私立は異動がないので、専門家(プロ)が育ちやすい。

 自分の話で恐縮だが、私は3年担任を終えた後、1年に下りず、そのまま3年担任に留まるというケースを2回経験した。
 30年以上前の話だ。
 もちろんこれは私個人の希望ではなく、学校の方針である。
 つまり、経験を資産として次代に引き継ぐことの重要性は当時から分かっていたということである。

 話を戻す。
 公立の進路指導(特に大学進学指導)と私立の進路指導(同)の違いは、「組織性」と「継続性」であるというのが、目下の私の結論である。
 ただしこれは一般論であって、公立の中にも「組織性」と「継続性」に優れた学校があり、私立の中にも「組織性」と「継続性」に課題のある学校もあるというのが実際のところだろう。

 よって、「公立に行っても塾に行くことになる」、「指導の手厚い私立」と単純に分けてしまうのは結論の急ぎすぎというものだろう。
 ただ、塾の先生の側に立って弁護しておくと、塾の先生は、私立学校に行く機会(塾説明会など)は与えられているが、公立に関してはそういう機会はないのである。
 塾の先生が手にしている公立情報は、偏差値と大学進学実績、それに卒塾生がもたらす個人的感想くらいである。

 コロナ以前に、塾の先生方を誘って公立高校を訪問する企画をやってみたが、その道何十年というベテラン先生が、何人もの塾生を送り込んでおきながら、自分自身が足を踏み入れるのは初めてと聞いて、驚いたものだ。

 と言って、公立も塾説明会をやれと言っているわけではない。
 私は、私立に対してもそろそろ塾説明会は止めたらどうだと言っているくらいだから、そんなはずはない。

 今はコロナ下という特殊な状況であるが、昔と違って、情報発信手段はいくらでもある。
 塾の先生が「公立は~ない」といったネガティブ情報、というか誤った情報を発信してしまう原因を作っているのは、公立高校の側にある。